一九五二年八月三十一日の朝早く、まだ星がまたゝいているうちから、王さんは目をさました。
「やれやれ、もう日曜日がきたか、はやいもんだ……」起きぬけた服を着ながら、王さんはつぶやいた。
「日曜日だからつて、南かあるんですか?」わたしはまだ横になつたまゝでたずねる。
「大ありだよ」王さんは、もう服を着おわつて土間におりながら、
「組合員はみんな休みだよ、あんたがたも今日は仕事になるまいよ」
むかしは、日曜日に休むのは役所や学校だけで、農民たちは年がら年ぢゆう、朝から晩まで働きどおし、「日曜日」がどんなものかも知らなかつたものだ。わたしはカメラマンの蔡君といつしよに、昨晩やつとこの山西省武鄕縣にある窰上溝(ヤオ·シヤン·ゴウ)村に着いたばかりだつたので―農村にも日曜日がある―などという、まつたく耳新しいできごとにいきなりでくわして、おどろくほかはなかつた。百姓さんたちは、いつたいこの休みをどうして過ごすのですか?この休みに何をするのです?……わたしたちがあれやこれやとせきこんでたずねるのをなだめるように、村の農業生產合作社の主任をしている王さんはいつた、
「わしは、今月は休まずに、ひとつあんたがたのおつきあいをしましよう。まあ、自分の目で見たら、何でもわかりますよ」
朝食をすましてから、わたしたちは部落のはずれまで出かけた。晴れた目で、空は靑く澄みわたり、陽はさんさんと照つて木立が版画のようにくつきりと地面に影をおとしている。そよそよと吹きわたる秋風が熟れた作物のむせかえるような强い香りをおくつてくる。虫の昔や小鳥のさえすりが、靑空にとけこんで、流れてゆく。部落のはずれに大部分が合作社員たちの野菜畑になつている。よく熟れた、ひと抱えもある大きなカボチヤが初秋の目ざしなうけて畑のそここゝで、だいだい色に光つている。
日曜日なので、集団労働のすばらしい情景をみるわけにはいかなかつたがちようど合作社員たちがめいめいの野菜畑で働いているところへでくわした。村の人たちが、三々五々、思い思いのかつこうで働いている。藍色のまあたらしい木綿服をきた中年のおかみさんが、七つか八つになる女の子をつれて、よく実のはいつた、柔らかそうなサヤマメを籠いつばいちぎつていた。お母さんがかぶせてやつたのか、自分で考え出したのか、女の子は大きなカボチャの葉を帽子にしてかぶつている。色とりどりの花をかざつたつヤつヤした二本のお下げが、女の子の歩くたびに、ほつそりとした肩のうえでゆれるので、まるで蝶々がその子のまわりを飛びまわつているようにみえる。
「さあ、もうすぐ合作社の畑ですよ、わたしたちの作物をお目にかけましよう。」
王さんはそういうと先にたつて、目の前の谷間をずんずん下りていつた。道をおりきつて、向い側の坂道をあがると、目の前にすきまなく、びつしり立ち並んだ作物があらわれた。作物に考えていたよりずつとよく育つていた。高梁は若木のようにすくすくと廣い畑いつばいにつつたち、トウモロコシは背丈の倍ほどにのびている。これが豐產トウモロコシで、合計十ムー(一ムーは日本の約六·七畝)あるという。
わたしたちは畑いつばいに生い茂つた粟畑の前で足をとめた「そら、こんなやつになるとね」王さんは、粟の穗を手のひらにのせて、そつと撫でながら、「一ムーあたり七石一斗(中囯の一石は日本の五斗五升四合)はとれますナ、計画突破ですよ」
「計画はどれくらいの見込みだつたのですか?」
「一ムーあたり六石です。」
窰上燐村には二百二十戶あまりの農家があるが、そのうちの百七十戶あまりが農業生產合作杜にはいつている。農業生產合作社は、いま千七百ムーあまりーの穀物畑と七百ムーあまりの麦畑をもつている。土地の一ムーあたりの平均產高は、今年は二石四斗ぐらいになるだろうと予想されている。抗日戰爭前、こゝの土地は一ムーあたり一石一斗八升ほどしか收穫があがらなかつた。そのうえ長いあいだの戰爭で荒されて、一九四八年には一ムーあたり九斗九升九合までにさがつた。ということから考えると、今年の生產高は戰爭前の倍以上になるわけである。
もちろん、窰上溝村のこのやせた土地で、わずか四年間にこんなに收穫高をあげるのは、けつして簡單なことではなかつたのである。村は黄土層の小高い丘陵のうえにある。家の門口にたつと、かなり遠くの方まで見とおしがきく。部落の周囲にはいたるところに曲りくねつた深い谷がある。
抗日戰爭時代、村人たちはこの「めくら谷」を利用して敵と斗い、大いに敵をなやましたりところが、むかし敵との斗いに役立つたこの地形が、こんにち生產建設をおこなううえに、大きな困難の種になつているのである。すぐ目の前にあるようにはみえても、じつさいこつちの畑からあつちの畑へ行くには、谷へ下りたり坂をのぼつたりするので、少なくとも二、三里(中囯の一里は日本の約六町)は歩かねばならない。そのうえ、道は細いまがりくねつた山道なので、荷車どころか牛や馬さえ通れない。そのために、コヤシや土を運ぶにも、作物を運びにもてんびん棒でかついでゆかねばならない。それよりかお困るのは、水がないことだ。地面を十丈ぐらい掘つてみたところでまだ「バサバサ」した黄土層だ。で、飲料水に穴を掘つて夏と秋の雨水を溜めておき、それを飲むよりしかたがなかつた。窰上溝村は、そのために、今までしばしば早ばつになやまされた。
「今では、わしらのところに貯水池があります」、と王さんに自慢気にいう「いちばん大きな問題は解決されたというものです!これもわしらに組合があるからですよ。むかしどうしても出來なかつたことでも、今では、出來ないものはありまぜん………」
王さんの話は、近づいてきたにぎやかな声だのために、とぎれてしまつた。五、六人の村の靑年たちが、笑いさゞめきながら村からでてきて、王さんの姿を見るなり、ワイワイさわぎたてた。
「おや?日曜だちゆうに、主任さん、畑の見まわりですかい?」
「主任さん、何か買いものはないかれ?あればついでに買つてくるから………。」
快活な靑年たちの後姿をみおくりながら、王さんはうらやましそうにつぶやいた「今どきの若いものは、ほんとうに幸せだよ! わしがあれ位の年ごろのときには、地主の家に奉公にでていて、日曜日だからといつて休んだり、芝居をみるなんて、とんでもないこと、元日そうそうから働かされたもんだ……」
靑年たちは村から八里ほどある蟠龍鎭(パン·ロン·チエン)に芝居をみにゆくところだつたのである。蟠龍鎭では今ちようど「物產交流展覽会」がひらかれている。付近一帶の村では大へんな評判で、村の人たちは毎日ラバにのつたり車をひかせたりして会場におしかける。だから、会場のまわりや人口は、ラバや車でうずまつてしまう。で、王さんたちは「物產交流展覽見会」を「ラバ大会」と呼んでいる。「ラバ大会」はなかなかにぎやかである。牛やラバや工業製品、地方の特產物の賣買をする外に、芝居小屋が二つもかかつている。
書どき、わたしたちは合作杜員の韓金木さんの家で御馳走になつた。
韓金木さんはわたしをむりやりに新しい毛氈をしいたオソドルにあがらせて、ウドンをすゝめながら、
「家中みんなで芝居をみにいつていたものですから、何の用意もなくて……まあ、まずいもんですがひとつあがつて下さい!」という。さつそく好意にあまえて、ウドソを食べながら
「展覽会で何か買つてきましたか?」とたずねると、
「いやいや」韓金木さんは若いおかみさんの方へちよつと頭をふりながら、
「あれにひとつ着物を買つてやろうと思つたんですがね、どうも気にいつたのがないので、またのことにしましたよ。」
韓さんは一九四七年によそから引越してきた難民だつたという。だとすれば、何という生活の変りようだろう。今では、ほんとうに豐かな生活をおくつている。
「みんなそうなんですよ」、韓さんは話してくれた「みんな、くらし向きは一日一日とよくなつてますよ。」
その中の一人―李水忠さんの生活についての話だが……李さんの家は、一家五人。一九五〇年、村にまだ農業生產合作社ができていなかつたころ、李さんの家は食糧二十石あまりしか收入がなかつた。李さんは昨年合作社にはいつてから、秋のとり入れの後、三十七石一斗あまりの食糧を分配された。今年、李さんの家の收入は、さらに四十二石にふえた。李さんの弟は今までよその羊番をやつていたのをやめて、今年から小学校に入つた。
ところで、わたしたちに、書から農業生產合作社所属の二つの試驗農場へ参加観にいつて、はじめて窰上溝村の農業生產がなぜこんなにすばらしいスピードで発展したのか、そのわけがのみこめた。一つは品種の試驗農場もう一つは耕作方法の試驗農場である。今年、窰上溝村農業生產合作社は、ぜんぶこゝで試驗された優良品種をえらんでつかい、それといつしよにいろいろな面で改良農法をとりいれた。
それから、わたしたちは、村に新しくつくられた三つの図書室の一つ坑道自然村の図書室を参観した。図書室に、村ではかなり大きな建物で、室內はきれいに飾つてあつた。丁字形におかれた長い机のうえに、キチンと本が並んでいて、ちようど十何人かの靑年たちが本を読んでいた。
「三つの図書室で、毎日、四、五十人ぐらいの人が本を借ります」、図書管理員はわたしにこう話してくれた。
「わたしたちのところには本が七百册あります。それに新聞、雜誌も五十七部ほどそなえてあります。それから、こゝにはあまり字を知らない人たちも少しいるので、わたしたちは新聞朗読を組織しています。今、新聞朗読員は二十七人もいますよ!」
図書室からでると、王さんが南溝へいつてみようと話をもち出した、「日曜日は、あそこががいちばんにぎやかですよ―!」
王さんはわたしたちをつれて南溝町にむかつた。まもなく、谷間からにぎやかな笑い声や人々のざわめきがつたわつてきた。道を二度ほどまがつて、坂を下つてゆくと、たちまち目の前に、たのしい光景がくりひろげられた。山のふもとの岩のあいまから湧き出した清水が、小川となつて谷間を流れている。その小川のほとりで、ちようどおおぜいの村の人たちが、洗濯をしたり、足を洗つたりしている色とりどりの着物を小川のほとりの草地や石のうえに干してあるのが、遠くからみると、まるで満開の花が咲きみたれているようにみえる。子どもが四、五人鬼ごつこでもしているのか追いつ追われつかけまわつている。靑蛙にでもいたすらしているのたろう。しきりに川に石ころを投げている子どももいる。わたしたちのすぐそばでは、二十才すぎの村の靑年が、すべすべになつた川つぶちの石のうえで、きれいな模様のある着物を洗濯していた。王さんはそれをみると、ニコニコ笑いなから声をかけた。
「おかみさんの着物を洗濯してやつてるのかい! そりやあ模範ものだぞ!」
「洗つちやいけねえかい?」
その若ものに、さりげない顔つきできゝかえしたものゝ、みるみる顔をまつ赤にそめて、てれくさそうにぺんかいした、
「なんでえ、男女平等じやねえかよ。あれにひまがあればおれのを洗つてくれるんだから、おれがひまなときに、あれのものを洗つてやつてもかまわねえだろう。」
とたんに、ワーつと笑い声があがつた。彼のむかいで着物を洗つていた若い娘さんと靑年がいちばん大きな声をたてゝ笑つた。蔡君が、さつそくこの楽しい風景をパチリとカメラにおさめた。すると、みんなに笑われて顔をまつ赤にしていた靑年ががぜん反击の相手をみつけた。
「お前たちは二人ならんでうつつたぞ! この寫眞をみたらすぐみんなにお前たちのいゝ仲がわかるんだぞオ!」
彼がむかいの二人にこう浴びせかけると、みんなはまたワーつとたのしそうに笑いくずれる
山ぢゆうが、たちまちたのしい笑い声をごたまして、ゆれうごいた。