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五台山での円仁(1)「竹林寺」

Year:2007 Issue:12

Column: 【慈覚大師円仁の足跡を尋ねて】24回フォトエッセイ(12)

Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池 晴子=訳

Release Date:2007-12-05

Page: 52,53

Full Text:  

五台山到着は、疲労困ぱいの旅路の果てのクライマックスであった。ロバを小さな僧院に預けて、円仁と弟子たちは高い嶺を越えて名刹竹林寺を訪ねた。円仁はこの聖山に二カ月滞在し(八四〇年旧暦五~六月)、集中的に数カ所の寺で学んだ。ついに円仁は、中国の高名な仏教の師について学ぶ機会を得たのであった。知識の追求こそが、海を渡り、中国諸官庁に対してこの遠い聖地への徒歩旅行を決然と願い出た、究極の目的であった。

円仁は竹林寺内の特別な堂宇すべてに案内されたが、その一つに白玉石の戒壇があった。五台山に到着して一週間後、円仁に同行した二人の弟子、惟正と惟暁はここで正式に具足戒を受けた。

「五月二日、我々は七十二賢聖の曼茶羅を礼拝し、白玉の戒壇を見た。また戒壇を司る長老、霊覚和上にお会いした。年は百歳にして、僧になって七十二年……非常に丁寧で親切であった」

円仁日記からは、五台山に在ることの至福の感懐が伝わってくる。

「この清涼山(五台山)では五月の夜もきわめて寒く、人は通常綿入れの上衣を着ている。嶺の上、谷の内に樹木はまっすぐに伸び、ねじ曲がった樹は一本も無い。……眼前の万物は、すべて文殊菩薩の化身ではないかという思いを起こさせる。文殊菩薩の聖霊の地では、同時にこの土地と自然に対する畏敬の念を生ぜしめる」


阿南·ヴァージニア·史代
米国に生まれ、日本国籍取得。10年にわたって円仁の足跡を追跡調査、今日の中国での発見を写真に収録した。これらの経験を著書『今よみがえる唐代中国の旅 円仁慈覚大師の足跡を訪ねて』(ランダムハウス講談社)にまとめた。

阿南·ヴァージニア·史代 米国に生まれ、日本国籍取得。10年にわたって円仁の足跡を追跡調査、今日の中国での発見を写真に収録した。これらの経験を著書『今よみがえる唐代中国の旅 円仁慈覚大師の足跡を訪ねて』(ランダムハウス講談社)にまとめた。

これが円仁日記巻第二の最後のくだりである。


竹林寺の見習い僧

竹林寺の見習い僧


栃木県壬生寺円仁像

栃木県壬生寺円仁像


慈覚大師円仁
円仁は、八三八年から八四七年までの九年間にわたる中国での旅を、『入唐求法巡礼行記』に著した。これは全四巻、漢字七万字からなる世界的名紀行文である。仏教教義を求めて巡礼する日々の詳細を綴った記録は、同時に唐代の生活と文化、とりわけ一般庶民の状況を広く展望している。後に、天台宗延暦寺の第三代座主となり、「慈覚大師」の諡号を授けられた。



①竹林寺を描いた敦煌莫高窟の壁画
甘粛省敦煌莫高窟の第61窟にある大きな壁画には、唐代における五台山の様子が描かれている。これは、円仁が五台山到着後に逗留した竹林寺を描いた部分だが、ここ竹林寺にあるのは、故李承仙女史による壁画の模写である。

①竹林寺を描いた敦煌莫高窟の壁画 甘粛省敦煌莫高窟の第61窟にある大きな壁画には、唐代における五台山の様子が描かれている。これは、円仁が五台山到着後に逗留した竹林寺を描いた部分だが、ここ竹林寺にあるのは、故李承仙女史による壁画の模写である。


②円仁記念館に飾られている円仁像の写真と位牌
現在、円仁を記念する特別館が建てられ、読経机の上には円仁像の写真と位牌が飾ってある。1930年代に一日本人が寄進した円仁記念の石碑は、今も本堂の前に立っている。2002年にここを訪れた際、私たちのグループは経を唱え、供物を捧げ、寺の中庭に16本の苗木を植樹した。しかし、苗木への水遣りはあまり重視されなかったようだ。2カ月後、もう一度訪れたときには、生き残った苗木はわずか1本であった。

②円仁記念館に飾られている円仁像の写真と位牌 現在、円仁を記念する特別館が建てられ、読経机の上には円仁像の写真と位牌が飾ってある。1930年代に一日本人が寄進した円仁記念の石碑は、今も本堂の前に立っている。2002年にここを訪れた際、私たちのグループは経を唱え、供物を捧げ、寺の中庭に16本の苗木を植樹した。しかし、苗木への水遣りはあまり重視されなかったようだ。2カ月後、もう一度訪れたときには、生き残った苗木はわずか1本であった。


③竹林寺の塔
唐代において、竹林寺は高位の学僧を擁していることで有名であった。円仁はここで種々の修行法を習得した。帰国後日本の寺で実践し、確立した「常行三昧」なども、ここで学んだものであった。修行僧は阿弥陀仏の名を唱えながら、90日間昼夜を問わず歩き続けるという修行である。

③竹林寺の塔 唐代において、竹林寺は高位の学僧を擁していることで有名であった。円仁はここで種々の修行法を習得した。帰国後日本の寺で実践し、確立した「常行三昧」なども、ここで学んだものであった。修行僧は阿弥陀仏の名を唱えながら、90日間昼夜を問わず歩き続けるという修行である。


④五台山の谷
これは南の方角、山西省台懐鎮の小さな町を見晴らす眺めである。谷の内の白塔は長くこの聖地のシンボルとなってきた。遠くに見えるのは南台である。円仁は日記に「樹木や珍しい花々はすべて他所とは異なる。ここは全く特別の地である」と書き留めている。私が初めてここに来たのは、観光ブーム以前の1986年であった。以来この地を4回訪れているが、この谷の遠景は少しも変わっていない。

④五台山の谷 これは南の方角、山西省台懐鎮の小さな町を見晴らす眺めである。谷の内の白塔は長くこの聖地のシンボルとなってきた。遠くに見えるのは南台である。円仁は日記に「樹木や珍しい花々はすべて他所とは異なる。ここは全く特別の地である」と書き留めている。私が初めてここに来たのは、観光ブーム以前の1986年であった。以来この地を4回訪れているが、この谷の遠景は少しも変わっていない。


⑤竹林寺再建工事
この寺に過去の偉大な栄光をよみがえらせようとする突貫工事が進んでいる。新しい本堂の大柱にするために、巨大な木材を切っている大工たちの仕事を見ていると、1000年前の同じ普請に立ち会っているような気がした。「竹林寺に六院あり。一寺全体で40人ばかりの僧がいる」と円仁は書いている。

⑤竹林寺再建工事 この寺に過去の偉大な栄光をよみがえらせようとする突貫工事が進んでいる。新しい本堂の大柱にするために、巨大な木材を切っている大工たちの仕事を見ていると、1000年前の同じ普請に立ち会っているような気がした。「竹林寺に六院あり。一寺全体で40人ばかりの僧がいる」と円仁は書いている。

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