九世紀当時の日本において、遣唐使派遣は国家の重要な政策の一つであった。一行には唐朝廷を訪問する遣唐大使代表団のほかに、僧侶、職人、商人など中国の先進文化に学ぼうとする人々の一団も加わっていた。とりわけ中国の高僧の下で仏法の教えを学びたいと念願する学僧にとって、渡海は不可欠の経験とされていた。円仁は京都に近い比叡山延暦寺の高僧であり、その師最澄は、八〇五年唐において天台宗の教学を学び、教典と法具を携...
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九世紀当時の日本において、遣唐使派遣は国家の重要な政策の一つであった。一行には唐朝廷を訪問する遣唐大使代表団のほかに、僧侶、職人、商人など中国の先進文化に学ぼうとする人々の一団も加わっていた。とりわけ中国の高僧の下で仏法の教えを学びたいと念願する学僧にとって、渡海は不可欠の経験とされていた。円仁は京都に近い比叡山延暦寺の高僧であり、その師最澄は、八〇五年唐において天台宗の教学を学び、教典と法具を携...