早稲田大学卒業の知日派の康大川さんは、一九五三年に『人民中国』が発刊されたときから、一九八六年に定年退職するまで、そのほとんどの期間、この雑誌の編集長だった。康大川さんの名前は、もともと「康天順」だった。孟子の「天に順(したが)う者は存す」といった言葉にルーツがあったのだろう。だが康さんは、「天に順う」を好(よ)しとせず改名した。まず「天」から頭の上で自分を押さえつけている横棒を一本取り去り「大」...
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早稲田大学卒業の知日派の康大川さんは、一九五三年に『人民中国』が発刊されたときから、一九八六年に定年退職するまで、そのほとんどの期間、この雑誌の編集長だった。康大川さんの名前は、もともと「康天順」だった。孟子の「天に順(したが)う者は存す」といった言葉にルーツがあったのだろう。だが康さんは、「天に順う」を好(よ)しとせず改名した。まず「天」から頭の上で自分を押さえつけている横棒を一本取り去り「大」...