一月の北京は凍てつくような寒さだった。家々の軒先には長いつららが下がり、道も凍りついていて、あちこちで滑って転んでいる人を見かけた。一九五八年冬、私たち兄弟は両親に連れられ、北京の地を踏んだ。私は十五歳の中学三年生、弟は十三歳、中学一年生だった。私にとっては十年にわたる北京生活の開始であった。言葉は全くわからず、中国についての知識はゼロ、不安いっぱいの出発だった。国交正常化の十四年も前のことである...
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一月の北京は凍てつくような寒さだった。家々の軒先には長いつららが下がり、道も凍りついていて、あちこちで滑って転んでいる人を見かけた。一九五八年冬、私たち兄弟は両親に連れられ、北京の地を踏んだ。私は十五歳の中学三年生、弟は十三歳、中学一年生だった。私にとっては十年にわたる北京生活の開始であった。言葉は全くわからず、中国についての知識はゼロ、不安いっぱいの出発だった。国交正常化の十四年も前のことである...