日本にはかつて「五族協和」や「王道楽土」というスローガンのもと、中国へ移り住んだ多くの人々がいた。軍人や民間人などさまざまだが、中国の東北地方に置かれた日本の傀儡(かいらい)政権「満州国」だけでもその数、二十三万人(一九三一年の九·一八事変前の統計)、満蒙開拓団と呼ばれた農業移民は二十七万人(四五年日本敗戦時)にも上ったという。戦後五十年余りが過ぎ、そうした事実や人々の記憶もやがては風化してしまう...
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日本にはかつて「五族協和」や「王道楽土」というスローガンのもと、中国へ移り住んだ多くの人々がいた。軍人や民間人などさまざまだが、中国の東北地方に置かれた日本の傀儡(かいらい)政権「満州国」だけでもその数、二十三万人(一九三一年の九·一八事変前の統計)、満蒙開拓団と呼ばれた農業移民は二十七万人(四五年日本敗戦時)にも上ったという。戦後五十年余りが過ぎ、そうした事実や人々の記憶もやがては風化してしまう...