四川省の西南部、金沙江(長江の上流)のほとりに、戸数わずか七軒という小さな村があった。だが一九六五年、中国各地から十万人の建設者がここに集まり、五年後の一九七〇年、年産百五十万トンという中国有数の鋼鉄産業が産声をあげた。毛沢東主席がこの村の名前を尋ねると、「名前はありません。ただ村の入り口に攀枝花(はんしか)(キワタノキ)が一本あるだけです」という答えが返ってきた。そこで毛主席は、「それなら攀枝花...
Please login first!
四川省の西南部、金沙江(長江の上流)のほとりに、戸数わずか七軒という小さな村があった。だが一九六五年、中国各地から十万人の建設者がここに集まり、五年後の一九七〇年、年産百五十万トンという中国有数の鋼鉄産業が産声をあげた。毛沢東主席がこの村の名前を尋ねると、「名前はありません。ただ村の入り口に攀枝花(はんしか)(キワタノキ)が一本あるだけです」という答えが返ってきた。そこで毛主席は、「それなら攀枝花...