新しく開通した北京―九竜(香港)鉄道に乗って北京から南下して亳州に出、バスに乗り換えて西へ二〇キロほど進むと老子の故郷、鹿邑に着く。前漢の有名な歴史学者司馬遷(前約一四五または前一三五~?年)は『史記』の中に「老子は楚の苦県厲郷曲仁里の人。姓は李、名は耳、字(あざな)を伯陽、または聃(たん)という。周の守蔵室史」と記している。この苦県は、二千五百年前に楚の国が陳の国を滅ぼしたときに楚の版図に入った...
Please login first!
新しく開通した北京―九竜(香港)鉄道に乗って北京から南下して亳州に出、バスに乗り換えて西へ二〇キロほど進むと老子の故郷、鹿邑に着く。前漢の有名な歴史学者司馬遷(前約一四五または前一三五~?年)は『史記』の中に「老子は楚の苦県厲郷曲仁里の人。姓は李、名は耳、字(あざな)を伯陽、または聃(たん)という。周の守蔵室史」と記している。この苦県は、二千五百年前に楚の国が陳の国を滅ぼしたときに楚の版図に入った...