黄氾区とは黄河氾濫(はんらん)区の略称で、回想に忍びない悲惨な歴史につながっている。一九三八年六月、蔣介石は彼の軍隊に命じて河南省鄭州市近くの花園口で黄河ダムを爆破させ、「兵にかわるに水を以てす」という方法で日本軍隊の侵入を阻止しようとした。結果としては、その目標を達成したどころか、増水期にあたる黄河の水は一瀉千里、河南、安徽、江蘇三省の四十四県、五万四〇〇〇平方キロの土地を水底に沈め、八十九万人...
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黄氾区とは黄河氾濫(はんらん)区の略称で、回想に忍びない悲惨な歴史につながっている。一九三八年六月、蔣介石は彼の軍隊に命じて河南省鄭州市近くの花園口で黄河ダムを爆破させ、「兵にかわるに水を以てす」という方法で日本軍隊の侵入を阻止しようとした。結果としては、その目標を達成したどころか、増水期にあたる黄河の水は一瀉千里、河南、安徽、江蘇三省の四十四県、五万四〇〇〇平方キロの土地を水底に沈め、八十九万人...