天子の知を得んことを願う 唯だ民の病を歌いて ―諌官生活の三年間元和二年(八〇七)秋、白居易は長安に召還され、進士の試験官および集賢院の校理(秘書役)に任ぜられ、後に翰林(かんりん)学士を授かった。唐代の集賢院と翰林院は、文人·学者を集めて皇帝のそばに仕えてその諮問に答えさせるところである。翰林学士は高い地位を持つ官職で、政治に参与し、詔勅(しようちょく)を起草することができる。この年、三十六歳の...
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天子の知を得んことを願う 唯だ民の病を歌いて ―諌官生活の三年間元和二年(八〇七)秋、白居易は長安に召還され、進士の試験官および集賢院の校理(秘書役)に任ぜられ、後に翰林(かんりん)学士を授かった。唐代の集賢院と翰林院は、文人·学者を集めて皇帝のそばに仕えてその諮問に答えさせるところである。翰林学士は高い地位を持つ官職で、政治に参与し、詔勅(しようちょく)を起草することができる。この年、三十六歳の...