紀元二三四年、諸葛亮孔明は五丈原の軍営で没し、遺命によってそのなきがらは漢中の定軍山のふもとに葬られた。れっきとした蜀の丞相が、なぜ都の成都でなく、都を遠く離れた漢中に葬られたのか。そこには今どんな遺跡があるのだろうか。武侯墓参拝陝西(せんせい)省漢中の勉県県城から南に行って、漢江大橋を渡り、さらに一時間あまり歩くと、定軍山のふもと、松の大木がそびえる武侯坪(ぶこうへい)に着く。孔明の墓がある所だ...
Please login first!
紀元二三四年、諸葛亮孔明は五丈原の軍営で没し、遺命によってそのなきがらは漢中の定軍山のふもとに葬られた。れっきとした蜀の丞相が、なぜ都の成都でなく、都を遠く離れた漢中に葬られたのか。そこには今どんな遺跡があるのだろうか。武侯墓参拝陝西(せんせい)省漢中の勉県県城から南に行って、漢江大橋を渡り、さらに一時間あまり歩くと、定軍山のふもと、松の大木がそびえる武侯坪(ぶこうへい)に着く。孔明の墓がある所だ...