十八世紀中葉、中国はまさに清代の最盛期にありました。乾隆帝は母が六十歳になったのを祝うために、北京の北西郊外にある清漪園(頤和園の前身)を拡張し、また大報恩延寿寺を一七五八年に建立しました。その主体建築物が、この仏香閣なのです。その後、一八六〇年に英仏連合軍が北京に侵入したときに、仏香閣は焼きはらわれてしまいました。現在の閣は、西太后が自らの長寿を祝うために光緒十七年、すなわち一八九一年に軍費を用...
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十八世紀中葉、中国はまさに清代の最盛期にありました。乾隆帝は母が六十歳になったのを祝うために、北京の北西郊外にある清漪園(頤和園の前身)を拡張し、また大報恩延寿寺を一七五八年に建立しました。その主体建築物が、この仏香閣なのです。その後、一八六〇年に英仏連合軍が北京に侵入したときに、仏香閣は焼きはらわれてしまいました。現在の閣は、西太后が自らの長寿を祝うために光緒十七年、すなわち一八九一年に軍費を用...