三国時代の天水は、戦略の要地として蜀と魏の争奪戦の的になった所だ。諸葛孔明は蜀領内南部の反乱を平定したのち、魏を征討するため北伐軍を起こした。それ以後、晩年の八年間というもの、孔明は天水域内の祁山(きざん)、街亭(がいてい)、五丈原に蜀の足場を築くために心血を注いだ。二度にわたる祁山出兵初冬のころ、わたしは成都から宝成線(陝西省宝鶏―成都)で北上し、秦嶺(しんれい)を越えてまず宝鶏市に行った。宝鶏...
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三国時代の天水は、戦略の要地として蜀と魏の争奪戦の的になった所だ。諸葛孔明は蜀領内南部の反乱を平定したのち、魏を征討するため北伐軍を起こした。それ以後、晩年の八年間というもの、孔明は天水域内の祁山(きざん)、街亭(がいてい)、五丈原に蜀の足場を築くために心血を注いだ。二度にわたる祁山出兵初冬のころ、わたしは成都から宝成線(陝西省宝鶏―成都)で北上し、秦嶺(しんれい)を越えてまず宝鶏市に行った。宝鶏...