一九三〇年代に出版された『燕京訪古録』に、北京宣武門外の老牆根街には下半分残った城壁があり、白い石をはめ込んで「遼開泰元年」と隷書で刻んである、との記載がある。この辺は遼代の内城の東北隅で、もう九百年以上になり、北京に現存する最も古い町筋の一つだ。町名も、古い城壁の根方の町の意味らしい。途中たずねながら、やっとさがしあてた老牆根街は、想像していたような古いたたずまいではなく、両側に平屋やビルがなら...
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一九三〇年代に出版された『燕京訪古録』に、北京宣武門外の老牆根街には下半分残った城壁があり、白い石をはめ込んで「遼開泰元年」と隷書で刻んである、との記載がある。この辺は遼代の内城の東北隅で、もう九百年以上になり、北京に現存する最も古い町筋の一つだ。町名も、古い城壁の根方の町の意味らしい。途中たずねながら、やっとさがしあてた老牆根街は、想像していたような古いたたずまいではなく、両側に平屋やビルがなら...