十二支のおはなし一九九四年は、農暦でいう甲戌の年で、十二支では俗に「戌(いぬ)」年といわれる。甲、乙、丙……と続く十干と、子、丑、寅……と続く十二支は、ともに一種の数詞で、すでに殷代の甲骨文には、その両者を組み合わせた六十組の干支が見られる。考証によれば、干支は年や日の順序を示し、これを使った。最初の紀日法である「歳星紀年」が、春秋から戦国時代への移行期に流行していたが、漢代に至って干支紀年法が完...
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十二支のおはなし一九九四年は、農暦でいう甲戌の年で、十二支では俗に「戌(いぬ)」年といわれる。甲、乙、丙……と続く十干と、子、丑、寅……と続く十二支は、ともに一種の数詞で、すでに殷代の甲骨文には、その両者を組み合わせた六十組の干支が見られる。考証によれば、干支は年や日の順序を示し、これを使った。最初の紀日法である「歳星紀年」が、春秋から戦国時代への移行期に流行していたが、漢代に至って干支紀年法が完...