中国の近代史をひもとくと、北平東城区の鉄獅子胡同という名がしばしば登場する。今の地図で張自忠路となっているところである。鉄獅子の名がついたのは、胡同西口に一対の鉄獅子があったからだ。明代の胡同に関する本によると、それはある皇族邸の門前に置かれていた。清代になると屋敷は私人の草花園にかわった。軍閥が割拠した一九二〇年代、まず外務大臣の顧維均(こいきん)がここに住んだ。一九二四年、馮玉祥(ふうぎょくし...
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中国の近代史をひもとくと、北平東城区の鉄獅子胡同という名がしばしば登場する。今の地図で張自忠路となっているところである。鉄獅子の名がついたのは、胡同西口に一対の鉄獅子があったからだ。明代の胡同に関する本によると、それはある皇族邸の門前に置かれていた。清代になると屋敷は私人の草花園にかわった。軍閥が割拠した一九二〇年代、まず外務大臣の顧維均(こいきん)がここに住んだ。一九二四年、馮玉祥(ふうぎょくし...