「故人西のかた黄鶴楼を辞し、姻花三月揚州に下る……」これは大詩人李白の『黄鶴楼にて孟浩然の広陵(揚州の古名)に之くを送る』の冒頭の名句で、私なども子どものころから暗論していたものだ。李自は家族と別れて旅に出、揚州を三回も訪れているの階の場帝(在位六〇四~六「八年)も揚州に三回下り、最後は揚州に葬られた。十七世紀から十八世紀にかけて、清の康煕、乾隆の両帝は六回も揚州に下った。揚州は歴代皇帝が何度も行...
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「故人西のかた黄鶴楼を辞し、姻花三月揚州に下る……」これは大詩人李白の『黄鶴楼にて孟浩然の広陵(揚州の古名)に之くを送る』の冒頭の名句で、私なども子どものころから暗論していたものだ。李自は家族と別れて旅に出、揚州を三回も訪れているの階の場帝(在位六〇四~六「八年)も揚州に三回下り、最後は揚州に葬られた。十七世紀から十八世紀にかけて、清の康煕、乾隆の両帝は六回も揚州に下った。揚州は歴代皇帝が何度も行...