大暦三年(七六八)正月、杜甫は家族を連れて船に乗り、長江の三峡を下って、蜀(四川省)の地を離れた。詩友の李白が四十三年前に、大志を抱いて故郷の蜀を出たときと同じ経路だ。当時の李白は「朝(あした)に辞(じ)す白(はく)帝彩雲(ていさいうん)の間(かん)」と高らかにうたったが、いま、杜甫は重苦しい気分で『白帝城より船を放ら瞿唐峡(くとうきよう)を出(い)づ、四十韻』を作り、出だしから物悲しい調子だ。『...
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大暦三年(七六八)正月、杜甫は家族を連れて船に乗り、長江の三峡を下って、蜀(四川省)の地を離れた。詩友の李白が四十三年前に、大志を抱いて故郷の蜀を出たときと同じ経路だ。当時の李白は「朝(あした)に辞(じ)す白(はく)帝彩雲(ていさいうん)の間(かん)」と高らかにうたったが、いま、杜甫は重苦しい気分で『白帝城より船を放ら瞿唐峡(くとうきよう)を出(い)づ、四十韻』を作り、出だしから物悲しい調子だ。『...