虎牢関遺跡の取材を終えた私は江蘇省の徐州へと向かった。本誌では、ちょうど「ユーラシア横断鉄道の旅」が進行中で、二月号では「鉄道要衝の地·徐州」をあつかっている。今日の徐州の姿については、二月号を参照いただきたい。今月号では、もっぱら三国時代の徐州について語ることにしよう。徐州は、古く彭城と呼ばれ、後漢の終りごろ、徐州という名が定まった。黄淮(わい)平原(黄河·淮河の下流域)の中央に位置するため、古...
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虎牢関遺跡の取材を終えた私は江蘇省の徐州へと向かった。本誌では、ちょうど「ユーラシア横断鉄道の旅」が進行中で、二月号では「鉄道要衝の地·徐州」をあつかっている。今日の徐州の姿については、二月号を参照いただきたい。今月号では、もっぱら三国時代の徐州について語ることにしよう。徐州は、古く彭城と呼ばれ、後漢の終りごろ、徐州という名が定まった。黄淮(わい)平原(黄河·淮河の下流域)の中央に位置するため、古...