一一二六年に女真族の金に滅ぼされた宋は、その翌年、最後の皇帝欽宗の弟·趙構によって再興されますが、この宋も二年後に都を応天府(いまの河南省商丘)から臨安(いまの浙江省杭州)に移します。孔子第四十八代の嫡孫孔端友もこれに同行したため、以来孔子の予孫は北宗と南宗に分かれることになります。一九三五年南京政府は、北宗には山東省曲阜の、南宗には浙江省衢州の地を与えそれぞれ南北の「奉祀官」としました。現在の北...
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一一二六年に女真族の金に滅ぼされた宋は、その翌年、最後の皇帝欽宗の弟·趙構によって再興されますが、この宋も二年後に都を応天府(いまの河南省商丘)から臨安(いまの浙江省杭州)に移します。孔子第四十八代の嫡孫孔端友もこれに同行したため、以来孔子の予孫は北宗と南宗に分かれることになります。一九三五年南京政府は、北宗には山東省曲阜の、南宗には浙江省衢州の地を与えそれぞれ南北の「奉祀官」としました。現在の北...