このひとには二つの名前がある。ひとつは宮田佳江、もうひとつは田淑瑛だ。中国人の夫孫士仁と過ごした佳江さんの四十余年の春秋はなみたいていのものではなかった。ひとりで中国に残る一九二四年、佳江さんは大連の日本人の家に生まれた。それから二十年。日本人が経営していた家政高等専門学校を卒業した佳江さんは、音楽、書画をはじめ諸芸にたしなみ深く、才色兼備の、インテリ家庭の令嬢に育っていた。佳江さんは父の友人の紹...
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このひとには二つの名前がある。ひとつは宮田佳江、もうひとつは田淑瑛だ。中国人の夫孫士仁と過ごした佳江さんの四十余年の春秋はなみたいていのものではなかった。ひとりで中国に残る一九二四年、佳江さんは大連の日本人の家に生まれた。それから二十年。日本人が経営していた家政高等専門学校を卒業した佳江さんは、音楽、書画をはじめ諸芸にたしなみ深く、才色兼備の、インテリ家庭の令嬢に育っていた。佳江さんは父の友人の紹...