前漢(前二〇六~二四)の景帝劉啓には十四人の息子がある。そのうちに劉徳というのがいた。彼の領地は河間(いまの河北河間一帯)にあるので、「河間献王」と称された。秦の始皇帝に書物を焚かれ、学者を穴埋めにされた後、古代の書物が少なくなった。少なからぬ文人墨客はさいわいに残された古書を大切に隠しつづけたが、それを整理したり、研究したりする勇気がない。しかし、劉徳は河間献王に任じられると、古い文献の収集にと...
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前漢(前二〇六~二四)の景帝劉啓には十四人の息子がある。そのうちに劉徳というのがいた。彼の領地は河間(いまの河北河間一帯)にあるので、「河間献王」と称された。秦の始皇帝に書物を焚かれ、学者を穴埋めにされた後、古代の書物が少なくなった。少なからぬ文人墨客はさいわいに残された古書を大切に隠しつづけたが、それを整理したり、研究したりする勇気がない。しかし、劉徳は河間献王に任じられると、古い文献の収集にと...