グラフ〈書道鑑賞〉もどうぞ紀元前二二一年、秦の始皇帝は、六国を統一したのち各国の書体の異なった文字に整理、改革を加え、統一して当時の一番規範的な通用する正式文字と決めた。これが、秦篆と言われるもので、つまり当時統一的に使用された小篆である。二世の胡亥は、皇帝の位を継いでから、東の郡県を巡行し、丞相李斯が随行した。そのさい始皇帝の立てた頌徳の刻石に文字を刻んで、先帝の盛徳を顕頌した。いわゆる秦の刻石...
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グラフ〈書道鑑賞〉もどうぞ紀元前二二一年、秦の始皇帝は、六国を統一したのち各国の書体の異なった文字に整理、改革を加え、統一して当時の一番規範的な通用する正式文字と決めた。これが、秦篆と言われるもので、つまり当時統一的に使用された小篆である。二世の胡亥は、皇帝の位を継いでから、東の郡県を巡行し、丞相李斯が随行した。そのさい始皇帝の立てた頌徳の刻石に文字を刻んで、先帝の盛徳を顕頌した。いわゆる秦の刻石...