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うまれかわる鋼鐵の都―鞍山

Year:1953 Issue:1

Column: レポート

Author: 徐遅

Release Date:1953-06-01

Page: 36-38

Full Text:  

一九四八年の多、人民解放軍に鞍山を解放した。当時中囯東北部のこの工業中心地は、まつたくの廃墟と化していた。工場のそとには、人の背丈ほどもある雄草が生いしげつていた。熔鉱炉という熔鉱炉は、すつかり錆ついてしまつて赤黄色の錆がしま模様のようにうきをでて、みるかげもなかつた。それはまるであれはてた曠野に生えた巨大な「きのこ」のような恰好をしていた。建物の屋根は、ほとんどなくなつていた。貴重な設備はみな、囯民党の匪賊どもがはこびだし、賣りとばしてしまいドアーの取手さえなくなつていた。また、煙突からは一すじの煙もでていなかつた。囯民党の匪賊とその主人公のアメリカ帝囯主義者どもの略奪をまぬがれたものは、どえらく大きくてもち出せない機械類だけであつた。そのころ、労働者たちにまつたく明日くう米にもこと欠き飢にせまられていた。

それだけではない、囯民党が大がかりな略奪をおこなうまえの鞍山には、日本軍囯主義者どもの経営する最大の製鋼所の一つがあつた。こゝでは毎日数百トンの鋼鉄が生產されていた。

日本帝囯主義の支配した時期

一九一九年、日本の帝囯主義者ははじめてこゝに溶鉱炉をつくり、この付近一帶に豐富に埋蔵されている鉄鉱の略奪をはじめた。一九三七年から一九四四年にかけて、彼らに鞍山の生產量を急激にひきあげ、いわゆる「満州囯」の鋼鉄生產の中心地にした。

鞍山は、植民地工業の典型的なものであるそれは人民の需要をみたすためのものではなくて、人民の生活を破壊するためにつくられたものである。日本の資本家と軍囯主義者は鞍山の生產を彼らの帝囯主義的なたくらみにだけ奉仕させた。鞍山でつくられた鋼鉄は、中囯を侵略する軍隊な裝備した。一九四一年になると、それはさらにイギリス、アメリカ、アジアおよび太平洋地域の人民を虐殺するためにつかわれた。

だがこの製鋼所の設備は、もつとも安い労働力をつかつて生產をおこない、最大の利潤をしぼりとるのを建前としていたため、まつたく時代おくれのふろくさいものであつた。私は、鞍山をおとずれ、多くの労働者から昔の想い出を聞くことができた。労働者たちのいかりをこめたことはには、苦しめられてきた人びとの血と涙がにじんでいた。坑道は黄泉への道であり鉱山は労働者の墓場だと彼らはいつた。そして選鉱工場は、ちようどダンテの神曲にでてくる地獄篇のように、身の毛のよだつほど悲慘なところだつた。どの機械にも安全裝置などはついておらず、機械は鉱石をうちくだくと同時に、労働者の生命をもすりへらしていつた。コークス炉、熔鉱炉、平炉は、原料なのみこむだけでなく、そこで働く労働者の命までものみこんだ小型圧延職場では、まつ赤にやけた鉄片や丸棒をさばく労働者で火傷をしない者は一人もなかつた。こうした労働条件のもとでは、熔鉱炉や機械は、人類の意志と利益のために從順につかえる從僕でなかつたばかりか、むしろ人類の仇敵というべきものであつた。

解放と修復

革命が勝利するや鞍山の工場は人民の手もとにかえつてきたそして、すぐさま修復と改造がはじまつた。その当時、技術たちは、共產党がこの廃墟をもとどおりにするには、どうしても十五年から二十年はかゝうだろうとみていた。だが、しかし労働者はわずか三年間の短時日で工場の修復をやりとげただけでなく、さらにおそるべき惡夢さながらの職場の環境をすつかり変えてしまつたのである。

鞍山の労働者たちは、革命的な精神にとんでいることで、全東北地区にその名を知られている。どの解放運動にもすべて鞍山の労働者は参加してきた。そして工業回復の仕事のなかでは一層その腕まえを発揮しているのである。

コークス炉の修復にとりかゝつたときのことであつた。ある技師は、ます設計をしてこれをドイつに途り、もとの設計者であるオツトー会社で審査してもらい、その同意をえたうえではじめて仕事にかゝるべきだ、と主張した。しかし中囯の労働者たちは、そんなことはしなかつた。彼らは自分たちの手ですぐさまそれを修復した。そしてその後さらに他のコークス炉までいろいろ改善した。

こういつたからとて、なにも労働者がうぬぼれていたというわけではないし、また修復工事にあたつてなんの困難にもぶつからなかつたというわけでもない。困難はあつたが、彼らには中囯共產党の指導があつた。中囯共產党は、労働者階級の力をよりどころにし、中囯人民をみちびいて、つぎからつぎへと勝利をかちとつた党であり、困難のなかからうまれ、成長してきた党である。この党の指導に、労働者階級のたくましい偉大な力と集団的な知惠、おそれをしらぬ信念がくわゝつて、あらゆる困難を克服したのであつた。そうしたなかで、鞍山の労働者たちはソ同盟専門家の援助をうけ、ソ同盟における社会主義建設の経驗を身につけ、自分自身を武裝したのである。

修復工事は完成した。新しい生產記錄がたえずうまれるようになつた。

一九五二年十一月八日、偉大な十月社会主義革命三十五周年を祝つて第五号平炉の労働者たちは製鋼時間八時間十九分という新記錄かつくつた。またこれについて昨年十一月におこなわれた中ソ友好月間には、製鋼所の労働者は大規模な生產競爭を展開した。この競爭のなかで第四号平炉の労働者たちは、わずか六時間九分という製鋼時間の新記錄をつくり、さらに炉底面積一平方メートルあたりの出產量をこれまでの七·〇五トンから一一·○八トンまでにひきあげた。この新記錄は資本主義諸囯の同型平炉の現在の出產量をはるかにしのぎ、ソ同盟の一般平炉の生產水準においついたことを示している。

ある報告会の席上で、中囯共產党鞍山市委員会の書記韓天石氏は、解放後の第一年目―一九四九年の鞍山鋼鉄公司は、かつての最高生產量のわずか一〇%しか生產できなかつたが、一九五二年にはその八○%以上に達したとのべた。一九五三年には、いままでの最高生產量をも超過する予定である。そしていまではふるい―記錄をやぶるということば、まつたく日常茶飯事になつてしまい、新しい記錄のうまれない日とてはないまでになつた。いまや鞍山の共產党と労働者階級は、新しい鞍山を建設するというさらに光栄ある新任務をになつている。その鞍山とは、全中囯でもつとも新しい、高い技術水準をもつた模範的な鞍山であり、そしてまた機械化され、自動化された最新式の設備と技術を駆使して生產を力こなう鞍山でもある。

新しい大型工場

鞍山の労働者たちは、かゞやかしい未來に想いをはせ、おさえきれない熱情を胸にわきたゝせながらひたすら仕事に全力をうちこんでいる。かれらはいますばらしい大型圧延工場とつぎ目なし鋼管工場、それに第八号熔鉱炉を建設している。この大型圧延工場ができあがつた曉には、それとおなじような大型の近代化された工場な十四建設できるだけの鋼材な一年間に生產することができる。また、その一年間の生產量は、年間四万台のトラクターを生產する工場を六つつくることができる。つき目なし鋼管工場の一年間の生產量は、これを一本ずつつなぎあわせると、中囯の最北端から最南端までとゞくほどの長さになる。さらに新しい熔鉱炉の一日の鉄の生產量は六万箇の鋤がしらをつくることができる。労働者は、操作室のなかでいろいろな計器やシグナルをみながら、ボタンをおすだけで、熔鉱炉を操作することができる。原料は自動裝置で熔鉱炉のかたわらまではこぼれ、さらに炉頂へはこびあげられる。原料の多い少ないをしらべるのも自動機械の手でおこなわれ、計器が自動的にしらべた結果を責任者へつたえるようになつている。

この二つの工場と第八号熔鉱炉は、いずれも機械化され、自動化設備がほどこされている。工場で働く労働者たちもやはり操作台にすわつて機械やシグナルをみながらボタンをおすだけで工場全体をうごかしている。私が訪れたこれらの建設者のひとりびとりは確信にみち、明るさに充ちあふれている。彼らこその驚嘆すべき新しい物語りのなかの英雄たちである。彼らは、もつともむずかしい、そして骨のおれる仕事にとりくんでいるが、みな、びつくりするほど愉快な人たちだ。

さきにのべた二つの工場と熔鉱炉の建設は、一九五三年內に完成が予定されている三大工事である。労働者たちは、ソ同盟からきたこれらの工場や熔鉱炉の建設につかう機械や設備を見えるのは全く初めてであつた。彼らはこの自動機械をとりつけるにはひじょうな緻密さがいることを知らなかつた。

工事現場のめまぐるしい、わきかえるようなありさまを傳えるのは、すばらしく大きな油繪ではじめてできることである。労働者たちは、空中でも、地上でもまた地下でもそれぞれ働いている。この工事場と機械の姿がとてつもなくぼう大なため、そこに働く労働者の姿はひじょうにちいさく見える。だが、労働者がこうしてすべてのものを支配している光景は、労働者のもつ力とすばらしさを表現している。いまや工事は記錄破りのはやさですゝんでいる。熔鉱炉の建設はすべて終り、つぎ目なし鋼管工場の完成はいま一息というところまできている。また、大型圧延工場もなかば以上できあがつた。

社會主義的な大工業

しかし、新しい鞍山鋼鉄公司建設の物語りは、まだほんの序の口にすぎない。ソ同盟專門家の協力をうけて、作り上げた設計案は、百二十あまりに達している。

もとの製鍋所は、植民地的な工場で設備もたちおくれており生產量もすくなく、それだけでなく、銑鉄の生產量が鋼鉄の生產量よりも多く、鋼鉄の生產量が鍋材類よりも多いというように、日本帝囯主義が中囯の富を略奪する姿をあますところなくあらわしていた。

解放後の鞍山は、人民の鋼鉄の都にかわり、人民の必要のために奉仕している。いまや鞍山は、もつとも進んだ技術で武裝された社会主義的な鋼鉄の都にかわりつゝある。そこには、世界第一流の機械化され、自動化された設備があり、その生產率はやがて現在の四倍半から五倍に、また鋼鉄の生產量は六倍にたかめられることになる。そうして、あらゆる種類の鋼鉄製品を生產できるようになり、また鉱石の生產量は製鋼能力にこたえるだけのものを確保し、製鉄量と製鋼量、圧延量と製鉄量とのバランスをそれぞれとりながら生產をおこなうのである。

新鞍山全体の建設は、百以上の大工事からなつており、そのうちの三つはすでに完成、または完成を目の前にしており、その他の工事もこの数年內に急ピツチで竣工することになつている。

あるソ同盟の専門家にユーモラスな調子で、こゝのふるくさい平炉について「この平炉は鋼鉄もつくれるし、おまけにストーブ代りにもなる」といつた。ところが再建後の製鋼はすべて自動調節裝置をもつた、生產量の多い大型平炉でおこなわれるようになるのだ。ドイつの技師が日本侵略者のために設計した、時代おくれのふるくさい熔鋼炉は、こゝ数年のうちにすばらしく大きな自動化設備なもつ熔鉱炉にとりかえられることになつている。


鞍鋼第八号高炉の生產量はひじょうに大きいので、付属の熱風炉も大型のものが必要である。図は、新しく建設された自動化裝置熟風炉。

鞍鋼第八号高炉の生產量はひじょうに大きいので、付属の熱風炉も大型のものが必要である。図は、新しく建設された自動化裝置熟風炉。

そのときになつたら、採鉱から鋼材の圧延までのすべての作業は、完全に機械化されるのである。

私は生まれてはじめて、すばらしい最新式の裝置を完成した職場のなかに入つて見た。それはふるい建物のなかに造られたものだ。建物の片方は相かわらすじめじめして全体として陰気くさく、呪わしい過去をおもいおこさせずにはおかない。だが、それにひきかえて別の片方の新しい職場に、まつたく目をうばうばかりの美しさである。白いタイルをほりつめた床、よごれやしみのあともなく、ちり一つとゞめていない壁は光をうけて明るくかゞやいている。機械は震動もなく回転しており、そのまわりをとりまいているパイプに赤、靑、緑、黄など色とりどりにぬリわけてあつて、とりわけ美しい。私は、通路の手すりにそつたり、まがりくねつたはしご段なのぼつたりおりたりしながら、これらの機械を細大もらさず注意してみてあるいた。この通路は、白銀色の照明のもとに、くつきりとてらしだされ、赤や緑の信号燈がまたたいている。私はふと花園のなかにいるような錯覚をおぼえた。この職場の美しさにおどろいた私のことばを耳にした基本建設部門の副責任者は、「新しくできたほかの工場などに、こゝよりずつときれいですよ。」といつた。もちろん、社会主義的な技術をとりいれているのだから、そういうことになるのは当然である。

労働者たちは、鞍山の一切の大きな変化について話してくれたし、またいまの新製鋼所について話してくれた。また彼らの光栄ある任務について、よくなつた生活の內容について、自分たちの家には暖房、ガス、電気、水道まであるといつたことなどについて話してくれた。ある労働者は「いまの私たちはなんと幸せなことだろう。なんとあれたかみのある、輝かしい、希望にみちた生活だろう。昔とはまつたくくらべものにはなりませんよ!」と力づよく語つた。すうといま一人の労働者が、すぐそのことばのあとをうけて「いまにおれたちは、もつと幸福になるんだ。いまとはくらべものにならないほどよくなるのだ。おれたちは、ありつたけの力をだして働き、すばらしい未來をきすあげるんだ!」といつた。

こうしたはげしい、大きな変化を、私たちはすでにこの目でみることができる。しかし、この変化もこんごさらにひきつきより大きくなつて行くのだ。私たちに鞍山で新しい光明にみちた日々をまのあたりに見て來た。この鞍山で、私たちはすでに明日の息吹きをこのほおに感じることができるのである。

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