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Your search : [ author:構成·魯忠民
周衛軍] Total 55 Search Results,Processed in 0.105 second(s)
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41. 上海·外灘のオアシスガーデンホテル上海を訪ねて
昨年末、中国のマスコミはこぞって、上海は中国で最も活力のある、将来最も発展の速い都市、と評価した。世界の有名大企業は先を争って上海に進出しようとしている。もともと激しいホテル経営の競争がいっそう厳しくなる。解放前からの繁華街の外灘、淮海路は言うまでもなく、新しく発展した浦東、虹橋でも四つ星や五つ星のホテルが次々と建っている。オークラ·ガーデンホテル上海のような優雅な建築を誇り、厳しいマネージメント
Author: (本誌·周衛軍) Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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42. 駆け足で見た日本
昨年の十一月二十五日から十二月四日までの十日間、わたしは『人民中国』誌訪日代表団の一員として日本を訪れた。大阪、京都、三重県を見物し、名古屋を経て、東京へ。東大を訪問したり、講談社を見学したり忙しい日程に追われた。これは駆け足で見た日本についての報告である。古代日本の残る京都日本人の生活テンポが速いというのは世界でも有名だ。日本に着いたばかりのわたしはそれを肌で感じた。大阪の全日空ホテル十五階の部
Author: 本誌·周衛軍 Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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43. 道標、運命、使命
八十年前、一九一九年五月四日に始まった五四運動の大波は、中国の知識分子を時代の最前列に立たせた。彼らは、文化や知識を以って中国を半封建、半植民地の悲境から救出する道を歩み、民衆に覚醒を呼びかけた。しかし、彼らがたどった道は多事多難だった。苦難と挫折、厳しい試練に直面した日々だった。それがどんなものだったのか。今号では時代を異にする五人の知識人にインタビユーし、その肉声を通じて彼らの心の歴程をたどっ
Author: 本誌·周衛軍 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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44. 北京の中高生が見た日本
一九九八年十一月、江沢民中国国家主席が訪日したとき、中日両国は『中日青少年交流の枠組みに関する協力計画』に調印した。これによって、一万五千人規模の両国青少年の相互訪問が、一九九九年度から二〇〇三年度までの五年間に実現することが決定した。来世紀に向かう中日両国の関係を発展させる上で、この交流が極めて大きな役割を果たすであろうことは間違いない。本誌は、そのスタートの年に当たって、北京の中高生が日本をど
Author: 本誌·周衛軍 Year 1999 Issue 11 PDF HTML
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45. チャイナネットサーフィン(5)
マンスリートピックインターネットで映画チケット予約北京の有力夕刊紙『北京晩報』は「人気タレントが出演した映画『西洋鏡』の北京上映にあたり、8848というホームページ(www.8848.net)で『デジタル·チケット』を試験的に販売する」と報じた。料金は招商銀行のクレジット·カード「一卡通(ネットフリー)」から落されるため、このデジタル·チケットを入手できるのは同カードの所有者に限られる。これまで観
Author: 本誌·周衛軍 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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46. 中国舞台に「まんが三国志」
八〇年代、対外開放の進展とテレビの普及によって、日本とアメリカのまんが(アニメ映画を含む)が相次いで中国に上陸、いとも簡単に市場を占領してしまった。中国伝統のまんが文化はかつてない衝撃を受け、数年の陣痛ののち、ようやく日米両国に太刀打ちできる態勢をととのえた。業界ではこの三国の戦いを、かつての魏、蜀、呉の角逐にたとえて「まんが三国志]と呼んでいる。一、日本製まんが上陸、海賊版も出現の事十二歳の圓圓
Author: 本誌·周衛軍 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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47. 北京大学で友好のシンポジウム
北京大学に日本研究センターができて満十年。それを記念して同センターは『伝統文化と中日両国の社会経済の発展国際シンポジウム』を四月八、九の両日、落成したばかりの同大学光華管理学院の講堂で開催した(写真)。論文を発表したのは、日本の早稲田大学とドイツのボン大学の教授十二名だが、そのほかにも白髪のベテランから少壮の研究者まで、そうそうたる顔ぶれが一堂に会した。とくに注目されたのが北京大学の前学長でいま全
Author: 写真·文 周衛軍 Year 1998 Issue 8 PDF HTML
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48. 敦煌「発見」一世紀
一九〇〇年六月二十二日、王圓籙(おうえんろく)という一人の道士(道教の僧)が偶然、敦煌莫高窟の蔵経洞を発見した。以来、大量の敦煌文書が海外に流失し、敦煌の壁画も絶え間なく破壊された。この痛ましい教訓に学んで、常書鴻らが四四年に敦煌芸術研究所(現·敦煌研究院)を設立、今日まで数世代の人々が敦煌保護という困難な事業に献身してきた。「敦煌学」と呼ばれる新しい学問も始まり、一世紀近い努力によって長足の進歩
Author: 周衛軍 栄新江 Year 2000 Issue 10 PDF HTML
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49. 許さん一家の「草葉画」
わたしが初めて「草葉画」を見たのは一九九四年の秋であった。フィアンセ許莉(シュリー)の家で、たまたま手にした『くれえばん』という日本の雑誌に彼女の両親許延風(シュイエンフォン)と于玉珍(ユーユーチェン)の「草葉画」の紹介記事が載っていたのである。「これ、『草葉画』というのよ。全部草や葉や花びらを使って作るの」許莉は写真を指しながら得意そうに言った。「見て、このフクロウはカキの葉、この木の枝はセロリ
Author: 文·周衛軍 写真·馮進 Year 1996 Issue 12 PDF HTML
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50. チャイナネットサーフィン②
マンスリートピックインターネットでサバイバルゲームインターネットには買い物やオークション、恋人探しなどいろいろな楽しみ方があるが、今最も注目されているのが「ネットサバイバル」、つまり生活に必要なすべての物資をインターネットを通じて手に入れ、生き延びようという実験だ。最近、中国のあるプロバイダーがネットサバイバルを実施して話題を呼んだ。約5000人の応募者の中から選ばれた12人が北京、上海と広州の3
Author: 本誌·周衛軍 本誌·王波海 Year 2000 Issue 2 PDF HTML