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Your search : [ author:写真·文 何竜盛] Total 488 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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321. 大阿福(ダーアーフウ)
愛され続けた泥人形江蘇省無錫市の恵山鎮は、泥人形の制作で知られている。とりわけ「大阿福(ダーアーフゥ)」は、恵山泥人形の代表作である。言い伝えによると、昔、恵山には毒蛇や猛獣が棲んでいて、人々によく危害を加えた。しかしある日のこと、力が強く、勇敢で、自由自在の神通力を持つ一組の「沙孩児」(子どもの姿をした神様)が天から降りてきた。毒蛇と猛獣はその微笑みを見ただけですっかりおとなしくなり、自らの身を
Author: 写真 文·魯忠民 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
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322. 花を召しませ―北京の花市場を歩く
北京市には現在、数え切れないほどの花屋がある。露店の花屋もあれば、大·中型の花市場も八、九カ所ある。近年、人々の生活において花はますます人気を集めており、北京では生花マーケットが徐々に形作られている。市の西北部に位置する航天橋の近くに、「航天橋花市場」がある。面積は数万平方メートル。名前の「橋」にちなんで、アーチ型の屋根を持つ広さ四、五千平方メートルの大温室が、ここのメーン会場だ。売り場一つひとつ
Author: 写真 文·楊振生 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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323. 金鶏(ジンジー)
ニワトリの魔よけニワトリは、中国の民間で縁起ものとしてよく使われている。それは、早くから飼いならされて人々の生活に密着した「六畜」(馬、牛、羊、ニワトリ、犬、ブタの六種の家畜)の一つに数えられ、栄養豊富でおいしい卵とトリ肉を我々に提供してくれる。とりわけオンドリは毎日、日の出とともに朝を告げる。その錦のような羽毛に、冠のような赤いトサカ、頭をもたげ胸をはった姿が、人々に好まれている。さらに最も重要
Author: 写真 文·魯忠民 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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324. 如意絨花(ルゥイーロンホア)
毛糸を使った造花北京の廟会(廟や寺の縁日)では、毛糸を使った造花「絨花(ロンホア)」をよく見かける。赤を主とするカラーの毛糸を結び、ハサミを入れて完成させた民芸品だ。1000年前の唐代に生まれ、今もなお北京や上海などの都市で流行している。絨花は、髪飾りやコサージュ、婚礼用の花など、用途によって種類が異なる。そのつくりは精緻をきわめ、色彩も美しく、縁起のいい意味が込められている。よく見かけるものには
Author: 写真 文·魯忠民 Year 2002 Issue 11 PDF HTML
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325. 門箋(メンジェン)
貧乏神を寄せつけない「門箋(メンジェン)」は「挂銭(グワチェン)」「挂箋(グワジェン)」とも呼ばれる。戸口の上の横木に貼って吊り下げる、吉祥模様や文字を刻んだ長方形の切り紙のことだ。言い伝えによると、中国の古典神話小説『封神演義』の中では、姜子牙(きょうしが)(太公望)が妻を「貧乏神」に任命するが、彼女にとりつかれた貧乏人がいっそう貧しくなるのを心配し、「ボロボロの家を見たら、すぐに帰るように」と
Author: 写真文·魯忠民 Year 2002 Issue 12 PDF HTML
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326. 古代中国の宇宙観ひろがる
ユネスコの第22回世界遺産委員会全体会議は1998年2月、北京の天壇を「世界文化遺産リスト」に正式に登録した。認定基準は次のとおり。一、天壇は、建築と景観デザインの傑作である。簡素かつ顕著に世界文明の発達を表し、他に影響を及ぼした重要な「宇宙観」である。二、天壇のシンボリックな配置とデザインは、何世紀にもわたり、極東地域の建築とその規格に影響を与えた。三、中国は二千年以上、封建的な王朝支配のもとに
Author: 魯忠民=写真·文 Year 2003 Issue 1 PDF HTML
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327. 避馬瘟(ビィマーウェン)
家畜のための厄よけ中国の古典名著『西遊記』をよく知る人は、この一節を覚えていることだろう。―「美猴王」と称した孫悟空が、玉皇大帝に召されて天宮に入り、「弼馬温(ビィマーウェン)」と呼ばれる馬番(馬の世話役)補佐の官職を授かった。官職といっても馬番の地位は低かったので、美猴王はたいそう怒り、憤然として故郷の花果山に引き返した。その時から「斉天大聖」と名のって、大暴れをするのである。こうした伝説により
Author: 写真 文·魯忠民 Year 2003 Issue 1 PDF HTML
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328. ミニスカートが華やぐ
貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州にある両汪、空申などのミャオ族の村は、「世界ミニスカートの里」「東方のバレエスカートの里」の別称がある。ミャオ族は、伝説の炎帝、黄帝の頃には、黄河·淮河流域に生活していた。二〇〇〇年以上前に、一部がいまの江蘇省や浙江省の辺りを経て貴州省東南部に移住し、土地を切り開き、自給自足の生活を始めた。そして長い歴史の中で、多くの支族に分かれ、居住地によって山ミャオ族、高坡ミャ
Author: 孫占礼=写真·文 Year 2003 Issue 2 PDF HTML
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329. 蒼天に酥油(スーヨウ)の香り漂う
夜が明けると、雪化粧したタール寺は、まるで、きらびやかなイブニング·ドレスをまとったように美しく、さらに神秘的に見えた。青海省湟中県魯(ル)沙(シャ)爾(アル)鎮は、青海·チベット高原にある人口五千人に満たない辺境の鎮(まち)だが、毎年数多くの巡礼者と国内外の観光客が訪れる。国内外にその名を知られたタール寺があるからだ。特に旧暦一月には、境内で十数日間、盛大な宗教イベントが開かれ、僧侶も庶民も一緒
Author: 狄祥華=写真·文 Year 2003 Issue 4 PDF HTML
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330. 王朝の歴史にピリオド打った皇室庭園
北京の頤和園は、中国の典型的な皇室庭園であり、かつまた史上最後に建造された皇室庭園である。1998年12月に、ユネスコの世界文化遺産リストに登録された。頤和園(旧名·清漪園)は、北京市街区の西北郊外に位置し、清代の繁栄期である乾隆年間(一七三六~一七九五年)に創建された。乾隆帝は色を好まず、放蕩をきらい、ただ「山水の楽、懐に忘るあたわず」(『御制静宜園記』)を心情としていた。清漪園の施工平面図や立
Author: 劉世昭=写真·文 Year 2003 Issue 7 PDF HTML