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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.169 second(s)
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2551. 中国南西部の大動脈が開通
中国南西部を走る大動脈―南昆(南寧―昆明)鉄道が、一九九七年三月十八日、六年にわたる難工事のすえ八渡駅で一本につながり、ついに内陸南西部から海へ出る通路が完成した。中国南西部は山と森林に覆われて往来もままならず、孫文は「建国方略」のなかでここに鉄道を建設しようと述べているが、内戦がつづき、人民の日々の生活も苦しい状況下では単なる夢でしかなかった。しかし新中国になって四十年、政府はこの地区の交通を重
Author: 写真·侯少華 文·若虹 Year 1997 Issue 6 PDF HTML
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2552. 清·銅鍍金月晷儀
月の光を利用して時刻を計る月時計を、中国では「月晷(き)」「太陰晷」と呼ぶ。清代には月時計は宮廷で多く用いられ、これはその代表的なものである。この月時計は、日時盤、遊表(回転する棒状の指針)、羅針盤、緯度弧、台座などから成っている。日時盤は上下2面がある。下の時刻盤は周囲が12に刻まれ、上の暦盤は周囲が360に刻まれ、「朔」「望」「上弦」「下弦」なども表示されている。日時盤の中央には遊表がつけられ
Author: 文·劉宝建 写真·劉明傑 Year 1997 Issue 6 PDF HTML
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2553. 雨降る青羊宮―成都、都江堰
飛行機の下に広がる雲海に目をやると、道教の古代文献に出てくる神仙の定義が脳裏に浮かんだ。「飄々として雲中を飛行する、これを天仙といい、飛仙という」だが航空機の発明によって、現代人は誰もが神仙のように雲上を飛翔する機会をもつようになった。成都空港に降り立ち、小雨の中を、老子が生まれ変わった場所とされる青羊宮に向かった。青羊宮は由緒ある道教寺院だ。早く周代(紀元前十一世紀~紀元前二五六)に商品の売買を
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2554. 苦熱·溽暑
祝融南(しゅくしゆうみなみ)より来(きた)りて 火竜(かりゅう)に鞭(むち)うち火旗眼焰焰(かきえんえん)として天(てん)を焼(や)き紅(くれない)なり 日(にち)輪(りん)午(ご)に当(あた)り凝(こ)りて去(さ)らず 万国洪炉(ばんこくこうろ)の中(うち)に在(あ)るが如(ごと)し 五岳翠乾(ごがくみどりかわ)きて雲彩滅(うんさいめつ)し
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2555. 于芬(ユフェン) 選手とともに奇跡を創ったコーチ
湖北省恩施市の出身。 72年湖北省飛込みチームに入り、競技生活へ。 75~79年国家チームに属し、 全国女子飛板飛込みで準優勝の経験も。 81~87年湖北省飛込みチームのコーチ、同時に武漢体育学院で学ぶ。 87年国家チーム·コーチ、
Author: 写真·劉世昭 文·暁璜 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2556. 江西の仙境 三清山
三清(サンチン)山は江西省上饒(シャンラオ)地区にあり、主峰の玉京(ユチン)、玉虚(ユスー)、玉華(ユホア)の三つの峰を玉清、上清、太清の道教の三人の仙人が住む仙境になぞらえて、この名がついた。最も高い玉京峰は海抜一八一六·九メートル、同風景区の面積は二二〇平方キロ、年平均温度は一〇~一二度である。長い歳月の間に地質に大きな変化があり、造山活動の中で大規模な花崗岩漿(しょう)が噴出して三清山が生ま
Author: 写真·郭実 文·鄭炳陽 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2557. 囲碁界の新しい星 常昊
中国囲碁界の新進、常昊(こう)は一昨年の第十回NEC中日スーパー囲碁で五連勝、昨年の第十一回で六連勝し、一躍内外の囲碁界の注目を集めた。一九七六年上海の紡績工場で働く両親の下に生まれた。六歳のときある囲碁大会に伯父に連れられたとき、彼はちょっと見ただけで競技に加わり、すぐに二、三の戦法を理解し、すっかり囲碁に夢中になった。両親はいい指導者を探してやりたいと、上海体育宮の囲碁班を訪ねたが、募集はすで
Author: 写真·劉暁君 文·武力 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2558. 長沙で三国時代の簡牘(かんとく)が出土
一九九六年十月下旬、湖南省長沙で三国時代に同地方を支配した呉国の歴年史を記録した簡牘(簡は竹片、牘は木片)が大量に発見され、専門家を狂喜させている。これらの簡牘は、長沙市の中心にある五一広場の南東部にあった古井戸から見つかったもので、この井戸の位置が昔の走馬楼街五十号の下になるところから「走馬楼簡」と命名された。現在ここでは、日本の平和堂株式会社が一億ドルを投じて商業ビルを建設中であるが、用地内で
Author: 写真·竜啓雲 文·暁虹 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2559. 中山号が五十九年振りに浮上
一九九七年一月二十八日、湖北省武昌金口鎮の長江水面上に赤い信号弾が打ち上げられると、長い間水中に没していた中山号が、大勢の人が固唾をのんで見守る中をゆっくりと姿を表した。中山号は全長六二メートル、幅九メートル、排水量七八〇トンで、一九一〇年に清朝政府が日本の三菱造船に発注し、十三年に完成して当時の第一艦隊に編入された。初めの名は永豊号である。一九三八年十月、有名な武漢防衛戦で奮戦したが、二十四日金
Author: 写真·劉継伍 文·若虹 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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2560. 清·黄楊木彫臥仕女
中国の木彫工芸の歴史は古い。1978年発掘された浙江省の河姆渡遺跡からも、約7000年前の木彫の魚が出土している。各部の釣り合いがよく、生き生きとした造形で、陰刻の大小の渦巻き模様がウロコを表現し、技術の高さを物語っている。明と清両代は社会の富の蓄積が進み、支配階級のぜいたくな生活の需要に応えて、木彫は実用品から次第に鑑賞用として発達した。宮廷には専門の工房が設けられ、各地から名匠を集めて、費用を
Author: 写真·劉明傑 文·蕭琳 Year 1997 Issue 7 PDF HTML