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Your search : [ author:黄秀芳] Total 78 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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11. 表現するということ
上海で、昨年末に行われた第三回国際現代芸術展(隔年で開催)が世間をさわがせました。なぜなら、公立の上海美術館がはじめて主催した、国際的な現代アート展だったからです。公的な機関が、前衛的な芸術展を開いたことは「里程標」の意義をもつものでした。開幕式では、美術館の責任者のひとりである張晴氏が感無量となり、泣きくずれてあいさつもできなくなるほどでした。この日のために彼がどれだけ心血を注いだのか、わかって
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
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12. ポップスのコンサートで
五月二十七日、北京工人体育場(スタジアム)に特別な夜がやってきました。一カ月ほど前からマスコミがこぞって報じた「五·二七コンサート」が、ついに開かれたからです。台湾と香港、大陸の歌手が一堂に会したこのコンサートは、香港の李宗盛と台湾の周華健、羅大佑など中国のポップス界のスターたちが共演したことで、とくに話題となりました。なかでも羅大佑の歌は、中国大陸にポップスがあらわれた二十年あまり前、テレサ·テ
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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13. 長征の心はどこへ……
今年六月末、中国中央電視台で連続テレビドラマ『長征』(全二十四回)の放送がスタートしました。中国労農紅軍の戦略的な大移動である長征については、中学の歴史の授業で習ったのが始まりです。しかし当時はまだ幼くて、先生の話も概念的だったので、それは私にとって一種の概念でしかありませんでした。その後何年かが過ぎ、長征の全容や真実、長征にまつわる生き生きとしたエピソードを知ったとき、この史上類のない壮挙に頭の
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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14. 変わるもの、変わらないもの
ある日本の友人が、感嘆して言ったことがあります。「中国へは何度も来たが、この十数年の変貌ぶりには驚かされる」と。私は同感しましたが、ちょっと考えさせられました。こうした変化はたぶん北京だけでなく、他の都市でも同じだと思います。八月の夏休みに、帰郷してきました。二年半ほど帰らなかったので、「天地がひっくり返るほど」変わったと言うと大げさですが、やはり故郷にも変化の波はおしよせていました。以前とは街の
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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15. 麗江の孤独
一九九六年、雲南省西北部の麗江ナーシー族自治州で、大地震が発生しました。それは現地に大きな被害をもたらしましたが、一方で七百五十年前の建築様式を今にのこす「大研古鎮」(古城)の神秘のベールをとくことにもなりました。その後、あるイギリス人が三年もの歳月をかけて、古城を記録映画『雲の南』に収めました。映画がヨーロッパで上映されてから、そこが旅客でにぎわう観光名所となったのです。麗江は私の憧れの地でした
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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16. 世界の耳目集めた上海
―二〇〇一年十月十五日から二十一日まで、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が上海で開催された。これは今までに中国で開かれた国際会議の中で、規模がもっとも大きく、もっともハイクラスで、影響のもっとも大きいものであった。APECに参加している二十一カ国·地域の首脳と、一万人以上の来賓、三千人以上の記者が上海に集まった。APECは閉幕したが、会議が開かれた七日の間に、上海が示したさまざまな姿は、人々に
Author: 文·黄秀芳 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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17. 北京大学と『日経新聞』協力講座開く
二〇〇一年九月、北京大学新聞学院(「学院」は学部と同義)が設立され、大学院生の課程に、全十六回シリーズ「国際メディア比較」という目新しい講座が登場した。この講座には、別名「経済報道メディア概論―『日本経済新聞』の経験」という副題がついていた。これは、日本経済新聞社が北京大学に無償で開講したもので、講師の選任から講義内容の決定まで、すべてを同社が担当した。『日経新聞』の全面的な紹介講座ともいえる。同
Author: 黄秀芳 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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18. 往事長已矣(おうじすでにながくも)故人永難忘(こじんとこしえにわすれがたし)
中国の抗日戦争期、中国で活動を広げていたある特殊な反戦組織―在華日本人反戦同盟。彼らはかつて中国を侵略した日本軍兵士であったが、後に侵略戦争に反対し、平和と日中友好を促進しようとする「反戦運動家」に生まれ変わった。彼らと中国の人々は、抗日戦争や解放戦争、新中国建設の過程の中で、ともに困難を乗り越えたばかりか、中には自らの命を犠牲にする者まであった。中日国交正常化三十周年を記念する今年、私たち中国人
Author: 黄秀芳 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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19. 大地をアートの舞台に―蔡国強氏
蔡国強氏は、火薬を使った「爆破プロジェクト」の魔術師として、また中国を代表するモダンアーティストの一人として、世界的に知られている。昨年十月二十日夜のことだ。十五年ぶりに祖国に帰った彼は、上海で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)のクロージング·イベントのために、花火によるロマンチックで壮大なパフォーマンスを正式に実現させた。空前ともいえるダイナミックな作品で、上海と中国の今の姿を世界中に
Author: 黄秀芳 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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20. 北京で初の国際ファッション博
世界のファッション界の大立者の一人、フランスのピエール·カルダン氏がさる五月十三日北京を訪問、翌十四日から国際貿易センターで開かれた「第一回中国国際ファッション·デザイン博覧会」に新作五十点を披露し、大方の注目を集めた。カルダン氏が初めて中国を訪問したのは、一九七八年のこと。今回でその訪中は実に十八回を数えるが、十五年前のことを思い出して今昔の感にたえないという。「北京のフランス大使館に訪中の希望
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1993 Issue 9 PDF HTML