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Your search : [ author:阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池 晴子=訳] Total 77 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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11. 赤山の新羅人による庇護と助言
山東半島の海岸線に沿って航行中、円仁と遣唐使一行は、今航海中最も恐ろしい体験をする。二昼夜にわたって荒れ狂う嵐に閉じ込められ、難を避ける入江すらなかったのである。このときの人々の恐怖を、円仁は次のように記している。「全員うち揃って誓願を発し、お祓いをして船上の雷神に祈った。さらに船上に祀られた住吉大神を崇め奉り、また八幡大神等日本の神々、海龍王、並びに当地登州の山地島嶼の神々にも誓願をたてた」一同
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
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12. 青州府で歓迎される
青州は唐代、非常に大きな州の州都であり、その管轄規模は現在の山東省よりも大きかった。円仁がこの重要都市に到着したのは八四〇年旧暦三月二十一日であった。円仁と弟子たちは竜興寺に十日間滞在し、この間に通行許可証交付願いを提出した。続いて、この地域の軍政官でもある青州府長官に会見し、ほどなく五台山および首都長安への旅に必要な公式通行許可証を交付された。円仁は、「四月一日、午前の謁見時に公式通行許可証を受
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
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13. 醴泉寺から黄河への行路
円仁と弟子たちは八四〇年旧暦四月三日早朝、青州府城を後にした。彼はこう記している。「初めて会ったときより、幕僚判官は極めて親切な心遣いを示し、竜興寺滞在中は毎日布施を届け、常に慰問してくれた。出発に当たっては、人をつけて見送らせ、合わせて道案内もしてくれた。青州府を出て城外を行くこと十里にして堯山あり、山上に堯王廟が祀られている。……聞くところによると、ここで雨乞いすると必ず祈りに感応して降雨あり
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2007 Issue 8 PDF HTML
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14. 太行山脈を越えて
円仁一行は、五台山を目指して西へ巡礼の本道をたどった。宿は、信者団体をいつでも受け入れる宿坊だった。円仁はこれを「普通院」と呼んでいる。円仁日記に以下のくだりがある。「……八四〇年旧暦四月二十三日。西北に進んで黄山の八会寺に着き、休憩して中食に黍(きび)飯を食べた。当今の人は、ここを上房普通院と称している。これまで常に飯粥を用意して、僧俗を問わず来たる者には宿を提供してきた。食する物があれば与え、
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2007 Issue 10 PDF HTML
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15. 古代の道と「普通院」
円仁とその弟子たちは、目的地である仏教聖地五台山まであと一息の地点にまで来た。時は八四〇年旧暦四月であった。円仁は日記にその経過をこう記している。「二十七日、……大復嶺を越えた。嶺の東側では谷水は東に向かって流れ、西側では谷水は西に向かって流れている……道は次第に下りとなる」「松の緑は青い空に映えている。嶺の西側では樹々の葉はまだ芽吹いていない。……夕暮れに角詩普通院に到着した」五台山への道は、石
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池 晴子=訳 Year 2007 Issue 11 PDF HTML
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16. 揚州滞在
円仁と遣唐大使一行は、八三八年旧暦七月二十五日ようやく揚州にたどり着いた。それはゆっくりと三週間かけて、あるときは休み、あるときは、当時淮南道の地方政庁であったこの大都市と海とをつなぐ入江や運河を探りながらの行程であった。当時、日本の船頭たちの間には「揚州に到ればすべてよし」という言葉が流布していた。遣唐使一行に関するかぎり全くその通りで、彼らは政府レベルでも各地の寺院でも暖かくもてなされた。円仁
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2007 Issue 2 PDF HTML
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18. 五台山を後にする
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2008 Issue 3 PDF HTML
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19. 太原への道
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2008 Issue 4 PDF HTML
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20. 汾河に沿って続く旅
Author: 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳 Year 2008 Issue 6 PDF HTML