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Your search : [ author:俞長安] Total 13 Search Results,Processed in 0.323 second(s)
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1. 丘の上から眺める港
ペンハの丘から眺めるマカオの港は、今日も鏡のように静かだ。少年時代、学舎の窓からグラバー邸の屋根ごしに眺めて暮らした長崎の港に、いつ見てもよく似ている。向こう岸にそびえる珠海の対面山(といめんさん)も、父母の眠る稲佐山にそっくりなのだ。ただ水面が長崎よりもやや狭く、港をよぎって行き交う草履(そうり)のような“電鉄”船の姿がないのは、ちょっと淋しいかな、という感じもする。この丘へ来るたびに私は、茫然
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 1 PDF HTML
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2. 根づよく伝わる縁起の文化
にぎわうマカオの大みそかマカオの旧正月は、大みそかから、たいへんなにぎわいです。夜の十時ごろから、善男善女が、ポルトガル系もまじえ、港のほとりの媽祖閣に押すな押すなでつめかけ、金剛杖ほどもあるマンモス線香を夜店で買って、人波にもまれながら、祠のなかで火をつけます。それを神前に上げるんじゃなくて、大事に持って帰り、わが家をいぶし清めるというのが、いかにもマカオらしい。大みそかの夜店には、お線香のほか
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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3. マカオが喜びにきらめく日
さて、今月のテーマは、中国全土だけでなく、世界中の関心をあつめるなかでスムーズにおこなわれた、澳門(マカオ)の中国復帰。ちょっと時期的には、おそくなりますが……。これこそ、マカオにとっては、好日中の大好日(タアハオルー)、史上最大の特別好日(トーベーハオルー)ですから。昨十二月九日に北京から帰り、ぼんやりと資料やスクラップを整理していますと、三日目ごろから雨になり、やがてそれが、十二月のマカオには
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 3 PDF HTML
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4. セントポールの前壁に残るナゾ
三つのナゾ澳門(マカオ)に来て、セントポール教会の遺跡を見なかったら、来たかいがない、といわれます。セント·ポール、ラテン語系ではサン·パウロ、聖者の名前です。この教会ができたのは、一六三七年、普請が始まったのは、徳川幕府成立より一年前の一六〇二年から。東洋で最初の大学セントポール学院とともに三十五年もかかって落成したものですが、一八三五年に大火で類焼、大理石の前壁だけが残りました。ナゾというのは
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 4 PDF HTML
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5. “文明開化”の波はマカオから
砲艦に乗ってきた西欧文明十九世紀の初めから、西欧の近代文明がアジアに入ってきます。それに伴い、近代システムの新しい用語、術語の数々が、横文字のままで、アジアの漢字文化圏になだれこんできます。砲艦政策の強力なプレッシャーとともに容赦なく襲来する西欧資本主義の近代文明のすべてが、在来の漢字の語彙ではとても説明のつかないものばかり。これをまともに翻訳するというより、在来の漢字を合理的に組み合わせ、今まで
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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6. 江戸の大老(たいろう)とマカオの大老(ダイロウ)
海を渡った新語たち江戸時代、徳川幕府の将軍の下、老中の上に大老(たいろう)という要職がありますが、その源は秀吉が定めた五大老の制度に始まるとか。中国の官職には、この“大老”というのが当時の明朝にも、それ以前にもないようです。それがなんと、マカオのかいわいに、昔からあったのです。但し官職ではなく、庶民のなかの俗語として。マカオの大老(ダイロウ)は、一般には、自分の兄貴というイミで、弟は細老(サイロウ
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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7. マカオで教えたアイウエオ
翻訳研究所なんてよう言うワ二十五年前、マカオに住みついてまず手がけたことは、過去二十年に体験した中国語と日本語の翻訳、通訳のいろんな問題を整理することでした。幼い頃からぜったいに商売人だけにはなんなさんなョ、と商店経営の母にくどいほど戒められて育ち、北京へ渡ってからも貧しいながら大事にされて人生の大半を過ごした私。マカオに来てもメイクマネーなどという頭は全然働かず、自分はいつでも、どこでも食ってい
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 7 PDF HTML
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8. マカオにつながる音楽の縁(えにし)
男同士が抱き合うとき音楽に魅せられた人は、音楽に生き、音楽に死ぬ、といわれます。めぐりめぐってマカオに来てからも、私はヒマさえあると夕食も忘れ、日暮れの灯りもつけず、黒いイタリア製のアコーディオンを抱き、ボリュームを抑えながら弾き呆け、時のたつのも忘れているのでした。そんなある夕、控え目なノックの音がして立ち寄った初老の紳士、バレンティノさん、マカオ生まれの中国系ポルトガル人です。静かに二、三曲き
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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9. マカオより愛をこめて
こんなタイトル、なにかキザでブキミな感じですが、あらなつかしのジェームス·ボンドさんとか、サイバー空間をあらしまわるラブユー·ウイルスくんのことでは、ありません。それは百年以上も前のこと、清朝も末代皇帝(ラストエンペラー)のおしつまった御代に、マカオ出身の中国人実業家が、祖国と同胞への限りない愛をこめ書き贈った、世なおしの直言書―『盛世危言』にまつわる物語り……。少年毛沢東へのキーワードさて、プロ
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 9 PDF HTML
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10. マカオよいとこ“旅たび”おいで
これまでは“ベルトコンベヤ·ツアー”過去、二、三十年に、ホンコン·マカオの旅ブームで、マカオに来られた方も多いと思いますが、まだかなりの人が、マカオをホンコンの一部だと思ったり、福建省の厦門(アモイ)と混同する傾向があるようです。これまでは日本からマカオだけの観光というのがほとんどなく、マカオはホンコンツアーのおまけか付属みたいな形だったのです。三泊四日の最後の一日を、日帰りのマカオ観光にあてるデ
Author: 俞長安 Year 2000 Issue 10 PDF HTML