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Your search : [ author:青森明の星短期大学 現代コミュニケーション学科 助教授 藤巻啓森] Total 9 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
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1. これでよいのか日本の教育としつけ
近年、日本では学生の学力低下、学校崩壊あるいは学級崩壊という現象などが起こり、問題になっている。一般人も教育関係者も、その深刻さを十分意識しているはずである。何とかしなければ、将来大変なことになってしまうであろう。大学の非常勤講師として私が見た教育現場の状況を報告したい。知識欲はどこに?全体的に多くの学生は、教科書などから得る知識はもちろんのこと、日常生活における一般常識もかなり乏しいということは
Author: 青森明の星短期大学 現代コミュニケーション学科 助教授 藤巻啓森 Year 2004 Issue 5 PDF HTML
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2. 壁に向かって「ボーッ」とする
晩ごはんの後は、だれが私を訪ねてきても、家の末っ子は必ず、 「すみませんが、三十分後に出直して来ていただけませんか。父はいま“ボーッと”しているところなんです」
Author: 楊心恒(天津南開大学助教授) Year 1991 Issue 5 PDF HTML
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3. 「失われた十年」で失ったもの
日本では「改革」がいよいよ正念場を迎えている。しかし、日本から伝わってくるニュースは、依然として暗いものが多い。これは日本の改革が、そう簡単には行かないだけでなく、改革には多くの痛みがともなうことを裏付けている。今後日本が、「失われた十年」を乗り越えるまでには、なおしばらく「陣痛」が続くのではないか。しかし日本には、自由な空気や平等で秩序のある生活環境、人々の心の温かさなど、「持ち前の良さ」がいま
Author: 北京大学政府管理学院助教授 白智立 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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4. 若者たちの「甘えの構造」
私が教えている『都市社会学』の講座に、二人のカナダ人留学生が聴講している。その中の一人は、「司馬」という中国の姓を名乗っているのだが、ある日のディスカッションの時間に、彼は黒板に、彼がこれから話そうとするキーワードの「infantalisation」(インファンタライゼーション)という英語を書き、そして中国語で「弦子気化」と書いた。これはいずれも日本語の「幼児化」のことである。司馬君の言う「幼児化
Author: 華東師範大学社会学部助教授 陳映芳 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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5. 人民のためにメスをとる
変化のはじまり毛沢東思想にみちびかれて、中国の広はんな知識人は、プロレタリア文化大革命のなかできたえられ、精神的に大きな変化があった。いま、自分自身の進歩のあとをふりかえってしみじみと思うのは、わたしを革命の道にみちびいてくださったのは、かがやかしい毛主席の著書だということである。わたしは解放前の社会を経験している知識人である。この二十数年らい、毛沢東思想にはぐくまれて、思想的自覚はたえず高まって
Author: 全国外科学会理事·吉林医大助教授 孟憲民 Year 1971 Issue 9 PDF HTML
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6. 真の理解に向けて
中日比較文化史を専攻しているせいか、近代以降に中国人が書いた「日本論」を読むことが多い。甲午戦争(いわゆる「日清戦争」)から、すでに百年近くたっているにもかかわらず、中国人の見る日本、中国人の抱く日本および日本人像に、根本的な“改革”がないことを知って、今さらながらに驚くのは、ひとり私だけではないだろう。『人民中国』九月号に載った夏衍先生の文章を拝読して、日本を研究の対象にしている私たち後輩の責任
Author: 北京外国語学院日本語学部助教授 厳安生 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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7. 変わりつつある中国の家族関係
この二十数年来、中国社会は、過去にないほど大きな転換期を迎えている。経済発展につれて、社会的にも大きな変化と新たな問題が生じた。この中で、家族関係の変化は見逃せない問題の一つだと思う。中国の著名な社会学学者、費孝通氏が「家族は社会の細胞だ」と主張しているように、家族は社会を透視する有力な手がかりの一つとなっている。教育過熱が生む歪み中国では一人っ子政策が実行されて、すでに二十五年になろうとしている
Author: 北京第二外国語学院日本語学部助教授 周潔 Year 2006 Issue 2 PDF HTML
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8. タクラマカン砂漠科学調査(上)
“死の海”への挑戦わたしは過去、ヒマラヤに十四回登っているし、中国と日本をつなぐ大海も渡っている。ただ砂漢にはまだ足を踏み入れたことはなかった。八カ月前になるが、縁あって科学調査隊に参加し、世界に名だたる中国新疆ウイグル自治区南部のタクラマカン砂漠に入ることになったのである。タクラマカンという言葉はウイグル語で「入れば、出られない」という意味だ。この大砂漠は、東西約一〇〇〇キロ、南北四〇〇キロほど
Author: 中国科学院地理研究所助教授 楊逸疇(本誌特約記者) Year 1989 Issue 5 PDF HTML
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9. タクラマカン砂漠科学調査(中)
風がつくり出す芸術大砂漠の懐での調査はまた、絶えず風砂と付き合うことでもある。ある日、わたしたちは「大河沿」西北部の地質調査に出た。データに必要なものを集め終えると、日はすでに暮れかかっていた。この時だ、突然風が激しく荒れ狂ったのである。風は砂粒をふくみ、それが頰にあたってひどく痛い。もうもうと砂塵が上がり、数歩先は何も見えなかった。わたしたちは急いで臨時の設営地、マジェンルクに引き返すことにした
Author: 中国科学院地理研究所助教授 楊逸疇(本誌特約記者) Year 1989 Issue 6 PDF HTML