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Your search : [ author:聞き手=本誌編集長 王衆一
写真=劉世昭] Total 142 Search Results,Processed in 0.124 second(s)
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1. 歌舞伎の中国公演に寄せる期待
日本の歌舞伎が今年五月、二十五年ぶりに中国で上演される。北京で開催される第二回国際演劇祭に、近松座が参加することになったのだ。 日本の歌舞伎の中国公演は、新中国成立以来これまでに、一九五五年と七九年の二回、北京で行われ、そのたびに中国の人々の間で歌舞伎ブームを巻き起した。 三回目の歌舞伎の公演を、特に楽しみにしている人がいる。梅葆玖さんである。彼は日本でも有名な京劇俳優、梅蘭芳(メイランファン)の
Author: 聞き手=本誌編集長 王衆一 写真=劉世昭 Year 2004 Issue 5 PDF HTML
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2. 二十一世紀の「日本語の風景」
神戸在住の作家·毛丹青氏は、中日両国の文壇を舞台に、二カ国語で創作、という独自の在り方が、注目を浴びている。一九八七年来日、商社勤務などを経て、九八年、日本語のエッセイ集『にっぽん虫の眼紀行』でデビュー。今年春には、氏の作品が、日本の大学入試問題に採用され、非母国語者による日本語の文章が出題された稀有な例として、話題を呼んだ。あたかも水陸両棲のカエルのように、二つの言語世界を軽々と往来する毛丹青氏
Author: 聞き手·本誌編集長 王衆一構成·原口純子 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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3. 劉徳有さん わたしと日本
とき:1986年11月 ところ:本誌編集長室劉徳有(りゅうとくゆう)(リュウドゥヨウ) 中国文化省次官、中日友好21世紀委員会中国側委員、中国翻訳工作者協会副会長、中国国際交流協会理事。 1931年、大連の生まれ。1952年に上京、『人民中国』誌編集部に勤務。1964年から1978年まで、『光明日報』駐日記者、新華通信社首席駐日記者として日本に滞在。 著書に、『日本探索十五年』(原著名は『在日本十
Author: 聞き手 本誌編集長 車慕奇 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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4. 任仲英さん 北京飯店とともに60年
とき 1986年11月20日 ところ 北京飯店接客室任仲英(にんちゅうえい)(レンズオンイン)さん 1912年、天津の生まれ。北京に移り、1920年、北京北池子小学に入学。1927、北京飯店に雇われメッセンジャー·ボーイに。給料なし、チップだけ、という文字通りの“こづかい”だった。31年、客室係に。46年から2年間、エレベーター·ボーイ。48年には館内電話の交換手をつとめ、1949年からは、ずっと
Author: 聞き手 本誌編集長 車慕奇 Year 1987 Issue 4 PDF HTML
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5. 奮闘の日中勢。期待のビアズリは足の故障がたたって芝生にダウン
「一九八四年北京国際マラソン」が行なわれたのは十月十四日。「馬拉松(マラソン)」の“外来語”も北京市民の耳になじんだためか、沿道には百万をこす大観衆が人垣をつくって盛んな声援をおくった。先頭集団がくずれたのは、後半の二六キロすぎから。前三門大街に入ってからは、日本の伊藤国光、喜多秀喜の文字どおり“一騎打ち”に(写真下)。最後、ゴール寸前で、ベテラン喜多が伊藤をふりきって、二時間一二分一六秒の好タイ
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. よみがえる“竜の首”。山海関長城の修復工事がスタート。
東は山海関から西は嘉峪関まで、延々一万二千華里(六千キロメートル)にわたって連なる「万里の長城」が、東に五キロほどさらに延びることになった。明代の名将·戚継光が築いた山海関は、長大な竜にたとえられる長城のいわば頭にあたる部分。燕山山脈の尾根づたいに延びた長城は、ここ山海関で首を南に曲げ、渤海に臨んで盤踞するかっこうになっている。長城の中でも最も壮大で険峻な景観として、古来、「天下第一関」の名で呼ば
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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7. 浙江省南部の石の町 五雲鎮
五雲鎮の町は、浙江省南部の山地にあり、縉雲県の県庁の所在地である。好渓という小さい川が町をつらぬいて流れている。いまは、杭州と温州を結ぶ陸上交通の要地になっているが、もとは小さな村落だった。唐代の天宝年間(七四二~七五五)に、この上空に五色の雲が現れ、ただよって行く雲の下に美しい楽の音がひびき、草木がいきいきと生長したので、人びとはここに町をつくり、五雲と名付けたといわれる。ここは凝灰岩の産地だ。
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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8. 「中国·日本合作出版撮影展覧会」本誌カメラマンの力作も!
五月十六日から二十四日まで、北京の中国美術館を会場に「中国·日本合作出版撮影展覧会」が開かれました。中国側は、人民美術出版社、文物出版社、北京美術撮影出版社、上海人民美術出版社、人民中国雑誌社。日本側は講談杜。中日六杜のカメラマンが、それぞれ自慢の力作をもちよったもので、中国、日本の“風貌”が、ずらり百四点並び、なかなかの壮観でした。わが人民中国雑誌杜からは、翁乃強、狄祥華、劉世昭、王恩普、魯忠民
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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9. これ 私がつくった新種なんです 北京の花の王様 薛守紀さん
花卉愛好者の多い北京では、ほとんどの家に植木鉢の五つや六つはあり、なにげなく置かれたものの中に、ひじょうに珍しいものがあったりする。北京の花好きが語る花の効用は……環境のアクセント。見て楽しく心が安まる。情操を養うのによく、花を見ていれば腹も立たない。老年者にとっては健康法を兼ねるもので、水やり、施肥、土いじりで体を動かすのはいいことだ。育てるほどに植えるほどに、愛好が専門になり、今では「花の王様
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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10. 近く東京と札幌で日本の方にも 見て頂きます中国の硬筆書道
中国で、書道が芸術の一つにかぞえられ、専門家が出るようになったのは、秦朝のころからで、その後、漢代を経て、唐代に至って大きく発展した。書体の規範化がはじまり、運筆や字くばりにも技巧をこらすようになって、書道家が多く出、書道の理論書が豊富になったのも唐代である。しかしこれは主に毛筆の書道についてであり、硬筆書道について述べたものは極めて少ない。近代になって紙や用具が発達し、ことにペン、鉛筆、ボールペ
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 11 PDF HTML