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Your search : [ author:聞き手 本誌編集長 車慕奇] Total 149 Search Results,Processed in 0.153 second(s)
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1. 劉徳有さん わたしと日本
とき:1986年11月 ところ:本誌編集長室劉徳有(りゅうとくゆう)(リュウドゥヨウ) 中国文化省次官、中日友好21世紀委員会中国側委員、中国翻訳工作者協会副会長、中国国際交流協会理事。 1931年、大連の生まれ。1952年に上京、『人民中国』誌編集部に勤務。1964年から1978年まで、『光明日報』駐日記者、新華通信社首席駐日記者として日本に滞在。 著書に、『日本探索十五年』(原著名は『在日本十
Author: 聞き手 本誌編集長 車慕奇 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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2. 任仲英さん 北京飯店とともに60年
とき 1986年11月20日 ところ 北京飯店接客室任仲英(にんちゅうえい)(レンズオンイン)さん 1912年、天津の生まれ。北京に移り、1920年、北京北池子小学に入学。1927、北京飯店に雇われメッセンジャー·ボーイに。給料なし、チップだけ、という文字通りの“こづかい”だった。31年、客室係に。46年から2年間、エレベーター·ボーイ。48年には館内電話の交換手をつとめ、1949年からは、ずっと
Author: 聞き手 本誌編集長 車慕奇 Year 1987 Issue 4 PDF HTML
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3. 歌舞伎の中国公演に寄せる期待
日本の歌舞伎が今年五月、二十五年ぶりに中国で上演される。北京で開催される第二回国際演劇祭に、近松座が参加することになったのだ。 日本の歌舞伎の中国公演は、新中国成立以来これまでに、一九五五年と七九年の二回、北京で行われ、そのたびに中国の人々の間で歌舞伎ブームを巻き起した。 三回目の歌舞伎の公演を、特に楽しみにしている人がいる。梅葆玖さんである。彼は日本でも有名な京劇俳優、梅蘭芳(メイランファン)の
Author: 聞き手=本誌編集長 王衆一 写真=劉世昭 Year 2004 Issue 5 PDF HTML
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4. 二十一世紀の「日本語の風景」
神戸在住の作家·毛丹青氏は、中日両国の文壇を舞台に、二カ国語で創作、という独自の在り方が、注目を浴びている。一九八七年来日、商社勤務などを経て、九八年、日本語のエッセイ集『にっぽん虫の眼紀行』でデビュー。今年春には、氏の作品が、日本の大学入試問題に採用され、非母国語者による日本語の文章が出題された稀有な例として、話題を呼んだ。あたかも水陸両棲のカエルのように、二つの言語世界を軽々と往来する毛丹青氏
Author: 聞き手·本誌編集長 王衆一構成·原口純子 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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5. 西北紀行
最近わたしは西北を旅行し、黄河の西の回廊地帶まで行つて來た。昔『絹の道』といわれたその道路にそつて、鉄道労働者たちは蘭州―新疆をむすぶ新しい線路を建設していた。自動車道路はまつすぐに西北へ向かい、万里の長城の最西端關口―嘉峪關をすぎてゆく。このあたりの長城はどこをみても朽ちにてた城壁の跡である。私達を飛せたトラツクのすすんでゆく左手には、蜒々と祁連山脈がつづいている。頂上は白い万年雪をいただき、雲
Author: 車慕奇 Year 1953 Issue 4 PDF HTML
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6. ゴビの砂漠に石油の町
一、新しい油田―玉門万里の長城の最西端にある嘉峪關から一歩そとへ足をふみだしたわたしたちの眼の前には果てしなくゴビの砂漠がひろがつていた。砂礫におおわれた灰色の大地の上には一軒の人家も一本の樹木も見出せなかつた。ただいんうつな空がおおいかぶさつているだけである。ラクダの一群が、のろのろとした歩みをつづけてゆく。くびにつけた鈴が、さみしい響きをたてる。わたしたちのトラックをのぞいて、すべてのものは、
Author: 車慕奇 Year 1953 Issue 6 PDF HTML
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7. 山の町·重慶が大きく変わった
長江と嘉陵江の合流点にある山の町·重慶は、近年、都市改革の進歩が早く、顕著な成果をあげて、中国の各大都市の間で声望が高まっている。
Author: 車慕奇 Year 1984 Issue 10 PDF HTML
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8. 探訪 黄河デルタの第二の大慶
このところ、石油価格の低下が世界的な問題になっているが、中国ではどうか。これについて李鵬副総理は「石油の国際価格の低下は中国の外貨収入にある程度影響するが、総体的に見れば得もあり失もある。石油の輸出収入は減るが、中国は石油輸出大国ではなく、年間輸出は三千万トン程度である。別の面から見れば、石油価格の低下による一部商品の価格の変化は、中国の輸入にとって有利になる」と述べている。
Author: 車慕奇 Year 1986 Issue 6 PDF HTML
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9. シルクロードを考える
日本では、四月から奈良でシルクロード博が開かれている。またユネスコでも、今年は各国の専門家を組織して、シルクロードの全ルートの調査をするそうだ。古代の東西文化交流の道、シルクロードに寄せる人びとの関心はいつまでも変わらない。私も同じ気持ちをもつ者の一人として、喜ばずにはいられない。絹の道 美しい夢もう十年前になるが、私は、シルクロードの新疆部分に属する三つのルートをつぎつぎとくまなくたどって、五〇
Author: 車慕奇 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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10. なぜ「六月風波」は起こったのか
四月十五日に胡耀邦の死を悼む花輪が現れてから、六月四日に天安門広場の占拠者たちが退去するにいたるまでの、五十数日にわたる北京の風波は、すでに収まって、北京と全国の情勢は安定した。事態収束後、さまざまな角度から思考がおこなわれ、教訓が汲みとられている。わたしも、わたしなりの考察を試みてみたい。なぜあれだけ多勢の者が…なぜあれだけ大勢の者が動乱にまきこまれたのか。人びとの議論の的となった問題である。全
Author: 車慕奇 Year 1989 Issue 12 PDF HTML