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1. 溥儀と周恩来(第一回)
中国最後の皇帝である愛新覚羅·溥儀は、皇帝から囚われの身となり、さらに公民として過ごすという伝奇的な生涯を送った。その経歴がこのように特殊なことから、溥儀は半世紀以上にわたって中国上層部の指導者たちといろいろな付き合いがあった。ここに記するのは、溥儀と周恩来の接触におけるエピソードである。戦犯引き渡しの顚末一九四五年八月から五〇年七月まで、溥儀は旧ソ連のチタ、ハバロフスクで五年間拘置された。溥儀は
Author: 王慶祥 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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4. 溥儀と周恩来(第四回)
【前回までのあらすじ】 一九五五年末、周恩来は東北工作団の戦犯の罪状調査と処分の方法を聞いたのち、一般犯罪者は起訴せず、ごく少数の重犯者は有期刑に処するが死刑や無期懲役に処しないよう指示を与えた。五六年四月、毛沢東は溥儀など戦犯を殺さないことを宣言した。そして、その年の六月から七月の間に三回にわたって、千十七名の日本戦犯が釈放された。同時に、社会の力を借りて戦犯を改造するため、周恩来は「満州国」の
Author: 王慶祥 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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5. 溥儀と周恩来
〔前回までのあらすじ〕 一九五四年春、周恩来は溥傑と嵯峨浩の長女慧生が日本から書いた手紙を受け取った。手紙の中で彼女は、収監中の父に手紙を手渡し、さらに父と直接文通できるよう求めた。周恩来は彼女の願いに応じ、ほかの日本や「満州国」戦犯の親族との文通も許可した。溥儀は政府の協力を得て妻の李玉琴を探し出し、対面することができた。間もなく、毛沢東の提案と周恩来のはからいで、溥儀の親族数人からなる「皇族親
Author: 王慶祥 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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7. 溥儀と周恩来
【前回までのあらすじ】 一九四五年八月、日本降服後、溥儀ら「満州国」戦犯や日本の戦犯はソ連に連行されて、そこで五年間拘置生活を送った。一九五〇年八月、中国に引き渡された溥儀らは、東北にある撫順戦犯管理所に収監された。 撫順戦犯管理所で、溥儀らは学習、参観、思想改造によって大きな進歩をとげた。同時に、軽微な労働を通じて体質も向上した。一九五九年九月、中華人民共和国成立十周年の前日、毛沢東は更生した戦
Author: 王慶祥 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
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8. 溥儀と周恩来(第八回)
〔前回までのあらすじ〕 撫順管理所で真面目に学習、改造を行った結果、溥儀の考え方は進歩をとげた。一九五九年十二月、溥儀は量初に釈放され、北京に戻ると、政府や北京に住む親旗たちに温かく迎えられた。ひどく感動した溥儀は翌日、弟や妹とともに天安門広場を訪れ、毛主席の肖像画と「中華人民共和国万歳」のスローガンの前で記念写真を撮った。毛主席に対する崇敬の念を表すためであった。その翌日、周恩来は中南海で溥儀や
Author: 王慶祥 Year 1993 Issue 8 PDF HTML