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Your search : [ author:構成 魯忠民(ルーチョンミン) 周衛軍(チョウウエイチュン)] Total 86 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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1. 天安門と天安門広場
天安門(ティエンアンメン)は中国の首都北京のシンボル、中華人民共和国のシンボルである。北京を訪れる人たちは必ず天安門と天安門広場で記念写真を撮る。外国人はよく「北京に行かなければ中国に来たことにならない、天安門に行かなければ北京を見ないのと同じだ」と言う。天安門広場は中国の政治の表舞台である。中華民族の盛衰にかかわる無数の歴史ドラマがここで上演された。明(みん)の永楽帝(えいらくてい)は十三年がか
Author: 構成 魯忠民(ルーチョンミン) 周衛軍(チョウウエイチュン) Year 1999 Issue 1 PDF HTML
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2. さらなる発展の意気に燃える―中国松下
現在、松下のブランドを知らない中国人はほとんどいない。北京の大きなデパートや商店には松下電器製品のコーナーが設けられ、ワイドスクリーンのテレビ、洗濯機、エアコン、ステレオコンポからアイロン、電気かみそりまで何でもそろっている。だが十八年前松下が中国の市場に参入したばかりの時は、知名度はあまり高くなかった。「松下(ソンシア)」を「松夏(ソンシア)」と間違って訳してしまうようなことさえあった。今日のよ
Author: 本誌·周衛軍(チョウウエイチュン) Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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3. 文化交流に一役買う―長富宮飯店
建国門の辺りは北京では商業と文化の栄える最も繁華な地区の一つである。北側は日本やアメリカなど各国の大使館の密集する地区と隣り合っている。建国門外大街には中国を訪れる外国人がよく買い物に行く友誼商店、賽特(サイトー)シヨッピングセンターとか中国国際貿易センターなど、国際色豊かな商店、レストラン、ホテルがずらりと立ち並ぶ。その中の一つ、長富宮飯店(チャンフーコンホテル)は北京の東部唯一の中日合資の五つ
Author: 本誌·周衛軍(チョウウエイチュン) Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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4. オシャレなお菓子がやって来た
三年前、北京の食品市場に「招かれざる客」がちん入した。日本伝来の目新しいお菓子で、二枚の柔らかいケーキの間にマシュマロが挟んであって、外側にはチョコレートが掛かっている。見ただけでも、一口食べてみたくなるほどおいしそう。中国語名は「派(ハイ)」。「オシャレ」という意味がある上に、日本語のパイに音が通じる。「派」はまたたくうちに北京で大流行、そして全国に広がり、特に若い女性や子供たちにモテモテ。デパ
Author: 本誌·周衛軍(チョウウエイチュン) Year 1998 Issue 8 PDF HTML
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5. 「一帯一路」の一端を担う天津
Author: 陳克=構成 Year 2016 Issue 7 PDF HTML
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6. 詩·書·画·印に通じ自在に表現
Author: 徐麗娜=構成 Year 2016 Issue 4 PDF HTML
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7. 北京新しい魅力
世界最大の広場に臨んで建つ天安門。一九四九年十月一日、毛沢東主席が、この天安門の楼上から、中華人民共和国の成立を宣言したことは、余りにも有名です。新中国のシンボルとなった天安門は、明代、清代をつうじて、皇城の正門でした。北京城は、内城と外城に分けられ、内城の中央南部に皇城が、皇城の中に紫禁城が位置します。天安門の南、広場をはさんでとおく天安門とあい対するのが正陽門。内城の正門にあたります。俗称は前
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 2 PDF HTML
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8. 山西古跡めぐり ②五台山
五台山の名は、日本人にもなじみが深いのではないでしょうか。早く文殊菩薩(もんじゆぼさつ)のあらせられる聖地とされ、唐代には、玄昉(げんぼう)、霊仙、円仁(えんにん)、宋代には、奝然(ちようねん)、成尋(じようじん)といった日本の高僧が、万里を遠しとせずして、この聖山を訪れています。山西省の東北部、五台県内にあり、高くそびえる五つの峰の山頂は、さながら「うてな」のように平らなことから、「五つの台(う
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
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9. 山西省古跡めぐり④平遥
太原市から南西へ九〇キロ、明·清代の城郭がそっくり残るまち―平遥を、山西省古跡めぐりの旅の最後に訪れます。城壁に囲まれたまち全体が、そのまま“古代城郭博物館”といった趣の平遥は、周の宣王の時代(紀元前八二七~前七八二年)に、大臣の尹吉甫が築いたといわれますが、今に残る城壁は、明の洪武三年(一三七〇年)から、それまでの城壁を基礎に拡大築造されたもの。東西南北に直交する街路と通りに面して並ぶ商家、奥に
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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10. 天下の名山 黄山
黄山は、安徽省の南部にある東西三〇キロ、南北四〇キロにおよぶ景勝地で、明代の大旅行家徐霞客が全国各地の名山大河を歴遊したのち、ここに来て、国じゅうに安徽の黄山に及ぶ山はなく、黄山に登ればほかに登る山はない、とたたえた所だ。黄山は、黒い石が多いので、はじめは黟(い)山といった。唐時代、道教を信じた玄宗皇帝が、遠い昔、この山で黄帝が不老不死の仙薬をねったことを聞いたので、天宝六年(七四七)に、黟山を改
Author: 構成 曹復 え·岳峰 Year 1991 Issue 5 PDF HTML