Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:構成 楊士俊 え 岳峰] Total 963 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
-
1. 山東省ツアー①済南 曲阜 泰山
太行山脈の東、黄河の下流地域、渤海と黄海に臨む地が山東。春秋時代には、斉国と魯国が割拠したことから、「斉魯」とも呼ばれます。省都は済南。市内の各地に泉水が湧き、「水清らかなること江南のごとし」「泉水は天下に甲たり」の形容で称えられてきました。済南を起点に、孔子の故里·曲阜、天下の名山·泰山、山東の民俗色ゆたかな濰坊(いぼう)、『水滸伝』の英雄がたてこもったとされる梁山(りようざん)、沿海地区の二大
Author: 構成 楊士俊 え 岳峰 Year 1991 Issue 2 PDF HTML
-
2. 山西省古跡めぐり①大同
大同と聞けば、すぐに石炭を思い浮かべる読者が少なくないことでしょう。大同の市内といわず郊外といわず、列車もトラックも、手押し車も、黒光りする石炭を満載しています。石炭は大同の地下に眠る宝といっても過言ではありません。ところで、大同の地上の宝と言ったら?遼代(九一六~一一二五)に創建された上華厳寺·下華厳寺、唐代からつづく古刹·善化寺、明代初期につくられた九竜壁、そして西に十六キロの郊外には、有名な
Author: 構成 楊士俊 え 郭立煌 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
-
3. 山西省古跡めぐり ③太原
太原(たいげん、タイユワン)は山西省の省都。古く「晋陽(しくよう)」と呼ばれ、晋(山西)の中心地として栄えました。紀元前五世紀には、もう“まち”ができており、秦の統一後には、「太原郡」が置かれています。隋代には、長安、洛陽に次ぐ中国第三の都市に発展し、唐の太宗·李世民が、この地で決起したことから、唐代には、長安の北に位置する副都·北京(ほくけい)の名で呼ばれたこともあります。悠久の歴史をもつだけに
Author: 構成 楊士俊 え 郭立煌 Year 1990 Issue 12 PDF HTML
-
4. 山東省ツアー②濰坊·梁山
濰坊(いぼう)(ウェイファン)の名は、耳新しいかも知れません。山東省の中北部に位置、膠済(こうさい)線(膠東半島上の青島―済南)で、東は煙台、青島と、西は済南と結ばれた濰坊は、一帯の農村に産する作物の集散地として栄えてきました。手工業が盛んなことでも有名です。「紅木嵌(かん)銀工芸」(マホガニー材で外形をつくり、漆をほどこした後、金や銀を象嵌する工芸)、「倣古銅器」(出土青銅器に似せてつくるレプリ
Author: 構成 楊士俊 え 郭立煌 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
-
5. 山東省ツアー
青島と煙台、ともに黄海に臨む山東半島上の美しい港町です。青島は「チンタオ·ビール」で有名ですから、あらためて紹介するまでもないでしょう。嶗山(ろうざん)のミネラル·ウォーターを使った「青島啤酒」は、ずっと、中国ビールの王座の地位を譲りません。夏日、海水浴をおえて、グッと一息で飲みほす生の「チンタオ·ビール」は、これはたまりません!一年四季を通じて花が絶えることのない「八大関」の街並も、港湾都市·青
Author: 構成·楊士俊 え·郭立煌 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
-
6. 天下の名山 黄山
黄山は、安徽省の南部にある東西三〇キロ、南北四〇キロにおよぶ景勝地で、明代の大旅行家徐霞客が全国各地の名山大河を歴遊したのち、ここに来て、国じゅうに安徽の黄山に及ぶ山はなく、黄山に登ればほかに登る山はない、とたたえた所だ。黄山は、黒い石が多いので、はじめは黟(い)山といった。唐時代、道教を信じた玄宗皇帝が、遠い昔、この山で黄帝が不老不死の仙薬をねったことを聞いたので、天宝六年(七四七)に、黟山を改
Author: 構成 曹復 え·岳峰 Year 1991 Issue 5 PDF HTML
-
7. 北京新しい魅力
世界最大の広場に臨んで建つ天安門。一九四九年十月一日、毛沢東主席が、この天安門の楼上から、中華人民共和国の成立を宣言したことは、余りにも有名です。新中国のシンボルとなった天安門は、明代、清代をつうじて、皇城の正門でした。北京城は、内城と外城に分けられ、内城の中央南部に皇城が、皇城の中に紫禁城が位置します。天安門の南、広場をはさんでとおく天安門とあい対するのが正陽門。内城の正門にあたります。俗称は前
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 2 PDF HTML
-
8. 山西古跡めぐり ②五台山
五台山の名は、日本人にもなじみが深いのではないでしょうか。早く文殊菩薩(もんじゆぼさつ)のあらせられる聖地とされ、唐代には、玄昉(げんぼう)、霊仙、円仁(えんにん)、宋代には、奝然(ちようねん)、成尋(じようじん)といった日本の高僧が、万里を遠しとせずして、この聖山を訪れています。山西省の東北部、五台県内にあり、高くそびえる五つの峰の山頂は、さながら「うてな」のように平らなことから、「五つの台(う
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
-
9. 山西省古跡めぐり④平遥
太原市から南西へ九〇キロ、明·清代の城郭がそっくり残るまち―平遥を、山西省古跡めぐりの旅の最後に訪れます。城壁に囲まれたまち全体が、そのまま“古代城郭博物館”といった趣の平遥は、周の宣王の時代(紀元前八二七~前七八二年)に、大臣の尹吉甫が築いたといわれますが、今に残る城壁は、明の洪武三年(一三七〇年)から、それまでの城壁を基礎に拡大築造されたもの。東西南北に直交する街路と通りに面して並ぶ商家、奥に
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
-
10. 重慶
朝(あした)に辞す白帝 彩雲の間 千里の江陵 一日(いちじつ)にして還(かえ)る 両岸の猿声 啼(な)きてやまざるに 軽舟 すでに過ぐ万重の山詩仙·李白は、三峡の景観を七言の絶句にみごと“昇華”しました。始点の白帝城から終点の宜昌·南津関まで、一九三キロメートル。さらに下流の江陵まで下っても“千里”には至らないというものの、大峡谷をわずか一日で“過ぎ”てしまう舟下りのダイゴ味!古来、三峡は、雄大な
Author: 構成 李雪琴 え 郭立煌 Year 1989 Issue 3 PDF HTML