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Your search : [ author:本誌東京支局長·唐暉] Total 13 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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1. 東京には「老舎読書会」がある
本誌東京支局特派員を引き継いでまもないある晴れた日曜日、わたしは千代田区九段にある社会教育会館へ老舎読書会を取材に訪れた。老舎(ラオショー)(一八九九~一九六六年)は現代中国文学における有名な小説家、劇作家であり、「人民芸術家」と呼ばれる言語の大家でもある。名作の『駱駝の祥子(シアンツ)』『四世同堂』『茶館』『龍鬚溝』などは映画化、ドラマ化されてよく知られている。この読書会を紹介する前に、まずお茶
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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2. 大阪で見たもの
私にとって大阪はほとんど未知の存在だった。今年の初め関西国際広報センターが日本に駐在する外国人記者を大阪取材に誘ってくれたので、私は喜んで申し込んだ。そしてより多くの情報と体験を得るため、一日早く大阪行きの夜行バスに乗った。まず訪れたのは国立民族学博物館だ。展示品は多岐にわたり、展示方法はよく考えられており、設備のすべてが先進的だった。また収集、研究、展示、教学を一体とした多角的な機能をもっている
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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3. 中日囲碁「俊英戦」に優勝
第十三回中日スーパー囲碁NEC杯「俊英戦」の表彰式が五月二十二日夜、東京のホテル·グランドパレスで行われ、日本の仲邑信也六段に2―0のストレート勝ちした中国の葉桂五段(二四)に優勝カップが贈られた。セレモニーの後パーティーに移り、記者はさっそく彼女にインタビューした。「日本料理は口に合いますか」との問いに、「大好き。でもおなかはまだ碁石でいっぱい」とユーモラスな答えが返ってきた。改まって経歴を聞く
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1998 Issue 8 PDF HTML
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4. 日中友好会館本館完成十周年
東京のほぼ中心部に「小石川後楽園」という有名な公園がある。江戸時代初期の水戸藩主、徳川光圀(みつくに)が中国の儒学者、朱舜水の意見を聞きながら藩邸内に造った名園で、そのすぐそばに、中日友好のシンボル的な存在である「日中友好会館」が立っている。今年九月は本館完成十周年を迎えている。私の知っているところでは、この土地にはかつて、いわゆる「満州国」からの留学生を対象にした学生寮が建っていた。一九八〇年、
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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5. 北京外大留学生の後援会で
ある日曜日の午前、記者は東京神楽坂の日本出版クラブ会館で行われた「北京外国語大学国際交流学部後援会第五回通常総会」の取材に行った。友人からの資料によると、この後援会は、北京外国語大学に日本人留学生向けに設けられた国際交流学部の支援を目指したものだという。「学生たちがより良い環境で所期の目的である中国語の知識が得られるように、そして卒業後の就職状況などについて、互いに持ちあわせている情報の交換を通じ
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1998 Issue 11 PDF HTML
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6. 修学旅行を助けて十二年
日中青少年旅行財団の村上司郎理事長にインタビューする機会を得た。村上先生は一九八七年から昨年までの十一年間に百回の訪中を達成、中国のすべての省、直轄市、自治区を訪問したという。中日両国の交流が拡大しつつある現在、訪中はごく普通のこととなった。百回訪中という記録も、確かにすばらしいことではあるが、今まで誰も達成しなかったというものではない。しかし村上先生の場合は単なる旅行、単なる見物ではなく、中日青
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
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7. 中国農業を支援する農文協
昨年十一月から十二月にかけて大阪と東京を訪れた『人民中国』雑誌社訪日代表団は、その日程の一環として、東京港区赤坂の社団法人農山漁村文化協会(農文協)を表敬訪問、同協会が同年八月に出版した一冊の本の話を聞いた。その本は『'98日本農業書総目録』という。A5版で約四百ページ、内容は日本で出版された農業科学技術関係書約六千冊のリストを中国語に翻訳したもので、同協会と中国の日本農業科学技術応用研究室が共同
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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8. 竹寺に「竹之心」を思う
竹寺は、埼玉県飯能市の西北部の山中にある。西武池袋線飯能駅の北口から中沢行きのバスに乗って終点まで四十分。それからさらに四十分歩いてようやく竹寺に着く。飯能からタクシーで行っても三十分はかかるという。容易に行けるところではないが、行く価値は大いにある。寺の名前からして、当然竹を連想する。私も実は、竹に引かれて行ったのだ。京都嵯峨野を訪れたとき、竹林になんとも言えない深い感動を受けていたから。竹寺は
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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9. 柴ヌに「寅さん」を訪ねて
私はまるで寅さんのように、一切を投げ出し、すべてを風にまかせてフラリと柴又に向かった。柴又はずいぶん遠いように思い込んでいたが、実はそうでもなかった。ただ高砂で乗り換えが少々不安だった。面白かったのは、この時ちょうど後から柴又への行き方を尋ねる声が聞こえたのだ。振り返ると、一人の茶髪の女の子。私の頭はその時不思議な動き方をして、こんな時、寅さんがよくする表情がふと浮かんできた。寅さんなら次はどう振
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1999 Issue 5 PDF HTML
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10. 中学生訪日団の日々
先日、北京第六十六中学校友好交流訪日団が、一週間の修学旅行で福岡、佐賀、長崎、熊本、東京にやってきた。一行は生徒と先生の八十九人。中国の中学校の修学旅行訪日団はめったにないこと。しかも今度の旅行は公費の訪日団ではなく、全員が自費で参加している。一体どんな旅になるのだろう。筆者は日中青少年旅行財団のご協力を得て、ユニークな修学旅行の全行程を取材することができた。最初のうち生徒たちはみな恐ろしくまじめ
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1999 Issue 6 PDF HTML