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Your search : [ author:本誌·楊珍] Total 7 Search Results,Processed in 0.110 second(s)
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1. 墨
墨は「文房四宝」のひとつだが、それはいつごろから使われるようになったのか。墨を最初に使ったのは黄帝だという人がある。黄帝は涿鹿(たくろく)の戦いで蚩尤(しゆう)をうち破ったあと、威を天下に示すために蚩尤の像を描いた。そのとき墨を使ったというのだ。だとすれば墨の歴史は五千年はあることになる。しかし、それは事実といえるだろうか。始めて墨をつくった邢夷―墨の起源墨は黄帝の時代からすでにあったと言う人は、
Author: 本誌·楊珍 Year 1991 Issue 9 PDF HTML
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2. 創刊40周年記念取材団の日本体験
本誌創刊四十周年記念訪日取材団一行四名(副編集長·邱南英、編集部主任·丘桓興、総編室主任·于明新、編集部記者·楊珍)は、七月十八日から八月一日まで日本各地を訪問した。十五日間の短い旅ではあったが、日本の多くの友人の心温まるおもてなしのおかげで、私たちは濃密な時間を過ごすことができた。以下はその訪日雑記である。東京のリズムの中で七月十八日
Author: 本誌·楊珍 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
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3. 中日合弁で黄酒生産「紹興古越龍山酒業」が誕生
一九九四年十二月十八日、浙江省紹興。降りしきる雨の中で、日本メルシャン株式会社と中国紹興黄酒(フアンジウ)集団公司の合弁による「紹興古越龍山酒業有限公司」の開業式が挙行された。式典に出席した婁光華·紹興市副市長が、「この雨は吉兆です。中国人は雨が降ると百業が栄えると考えるのです」と祝辞を述べ、鈴木忠雄メルシャン社長も、「日本でも同様、雨降って地固まると申します」と語ってイキの合ったところを見せた。
Author: 本誌·楊珍 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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4. 中国縫製業界の雄「茉織華」
日本全国で作業服の需要は年間四千万着、そのうちの六百万着は中国浙江省嘉興地区の平湖市にある農民企業―浙江茉織華縫製有限公司が供給している。松下電器、日本電気などの大手メーカーで使われている作業服、また広島アジア大会のスタッフの着た作業服は、みな茉織華の製品だ。生産量からいえば、茉織華は業界のトップ、製品の品質からいっても、日本で一流メーカーと見なされている。茉織華は海外でこそ有名だが、中国では地元
Author: 本誌·楊珍 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
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5. 赤字企業たて直しの請負人万徳明さん
受話器のかなたの上海から、上海第二毛紡織廠万徳明工場長のやさしい声が聞こえてきた。話が張家口第五毛紡織廠の赤字対策になると、万工場長は「うまくいっているよ」と返事してくれた。張家口では人々が口をそろえて「赤字企業の救いの星」万徳明を褒め称えている。昨年の夏、上海でこの伝奇的な人物を初めて取材するとき、ちょうど彼が張家口市の副市長と契約を調印するところだった。彼の予想した通り、第五毛紡織廠は三カ月で
Author: 本誌·楊珍 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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6. 民営企業家劉永好を語る
第八期全国政治協商会議第五回会議を取材した時に、劉永好氏の面識を得た。初対面で強烈な印象を与える人がいるが、彼もその一人である。彼は企業家として成功し、事業は日の出の勢いで伸びてきたうえに、いまや全国政治協商会議委員、全国工商連合会副主席、中国光彩事業促進会副会長など、多くの肩書きを持っているので、マスコミに注目されるのも当然だと言えよう。裸足からのスタート劉永好氏の名前がよく知られているのは、そ
Author: 本誌·楊珍 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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7. 相声(まんざい)
「相声」(シァンション)は中国のお笑い芸能の一つで、日本の漫才にあたる。人気は相当なもので、催し物の夕べなどに欠かせない演目になっている。 中国の漫才の始まりは、十九世紀後半とされ、まだ百年余りにしかならないが、歴史をさかのぼってみると、二千三百年以上前の、「俳優」というのに行きつく。寓荘於諧―俳優俳優は古代中国では喜劇のユーモア芸人のことだ。日本では、この古い名称を演劇人の総称として使っている。
Author: 本誌·楊珍 絵·方成 Year 1990 Issue 6 PDF HTML