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Your search : [ author:本誌·曹復] Total 28 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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1. トヨタから技術導入
瀋陽市内をざっと回ってみて、まず目だつのが「金杯」自動車の広告だ。随所に見られる、といっても過言ではない。中国の各地に走っている金杯は少なくないのである。瀋陽金杯客車製造有限公司―今のところ、中国最大手のマイクロバス生産会社だ。「客車」とはマイクロバスのこと。この会社では、三種類のマイクロバス、交通事故現場観察車、急救車を年に一万台生産する。良質、高性能の定評があり、需要に追いつかない。敷地面積八
Author: 本誌·曹復 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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2. 世界の屋根を旅した豆カメラマンたち
九歳から十三歳までの豆カメラマン十名が、「世界の屋根」といわれる青海·チベット高原で三十日間にわたって一万五〇〇〇キロに及ぶ旅をした。薄い空気や病気と戦いながら、広大なチャルハン草原、青海湖に浮かぶ鳥島、雪のように白いゴルムド塩湖、長江の源流地域崑崙(クンルン)山と唐古拉(タングラ)山の氷雪の絶景、かずかずの動物、チベット族牧畜民の風俗などをカメラにおさめ、計一万枚の写真をとった。少年児童の撮影活
Author: 本誌·曹復 Year 1993 Issue 6 PDF HTML
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3. 二千二百人のバイヤー迎え
さる六月初め、第四回天津輸出商品交易会が開催された。あたかも市場経済運営システムが確立され、経済分野での開放が日増しに進みつつある時とあって、記者はこの交易会がいままでと大きく異なっていることを痛感した。いままで中国輸出商品交易会は、一九五七年から年に春と秋の二回広州で行われ、すでに七十三回を数えている。だがこの数年、中国の経済発展は大いにスピードアップされ、貿易や合弁事業もめざましい発展を遂げた
Author: 本誌·曹復 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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4. 北京ただいま商都に変身中
七〇年代の新聞の社説にはいつも「市場繁栄、物価安定」という文字がおどっていた。読者のほうは見れども見えず、すっかり慣れっこになって、またかと思ったものだ。市場の「繁栄」なんかどこにもなかったからだ。 一九七九年に経済改革、対外開放政策が始まってから十五年たった中国で、市場にどんな変化が起こったか?以下は本誌記者が北京のマーケットを見て回ってまとめたものだ。十年前、記者は中国女子バスケットチームに随
Author: 本誌 曹復 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
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5. 『繁栄する医聖·李時珍の故郷 『本草綱目』の効験あらたか
李時珍記念館、李時珍病院、李時珍製薬工場、李時珍医薬街、李時珍強壮酒などなど、ここのすべてに李時珍という名前がつけられているようだ。このほど中国明代の大医薬学者李時珍(一五一八~一五九三)の故里·湖北省東部の蘄春県を訪ね、人びとがこの四百年前の医聖に寄せる尊敬と追慕および李時珍医薬文化そのものから生じる魅力をしみじみと感じた。世界医薬史上における李時珍の最も偉大な貢献は、三十年にわたって艱難辛苦を
Author: 本誌·曹 復 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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6. 古代中国の表玄関―登州
徐福が日本に向かって船出した地、山東省竜口市から東へ三〇キロ行くと蓬萊市に着く。昔登州と呼ばれた海辺の町である。前回、徐福が秦の始皇帝に、海上に仙人が住む蓬萊、方丈、瀛州の三神山がある、と奏上したという話をしたが、その三神山とは蓬萊の海にしばしば現れる蜃気楼のことだと主張する学者がいる。当時徐福はこの不可解な自然現象を目撃し、夢にまで不老不死を求める秦の始皇帝に、仙人を探しに行かせてほしい、と申し
Author: 本誌·曹復 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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7. 江蘇省揚州市に二人の日本人名誉市民
一九九四年十月二十三日、中国江蘇省揚州市と日本の神奈川県厚木市は、友好都市十周年の記念日を迎えた。この日を祝って足立原茂徳厚木市長をはじめとする同市各界の代表二百七十三人が、大型代表団を組織して揚州を訪問し、同市で盛大な祝典を行った。祝賀会の席上、揚州市は揚州市名誉市民証と、揚州市の大門を開ける金色のカギを足立原市長と厚木市日中友好場会副会長四竈秀郎氏に贈呈した。まさかの時の友が真の友記者は本誌一
Author: 本誌·曹復 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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8. 円仁と赤山法華院
前回は、御仏(みほとけ)の教えを究めるために入唐した請益(せいえき)僧円仁が、八四〇年二月に赤山法華院をでて蓬萊(古名は登州)に赴き、仏教の聖地·五台山(山西省境内)への入山許可をもらいに、登州府役所に何度も足をはこんだという話をした。蓬萊市での取材をしめくくったあと、円仁和尚の足跡を追って赤山法華院の所在地―山東省栄成市に向かった。バスは広くきれいな海岸沿いの道を走って栄成市に入った。市内の道の
Author: 本誌·曹復 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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9. 第一回遣唐使が上陸した莱州(上)
唐の太宗貞観四年(六三〇年、舒明天皇二年)十一月のある日、みなれぬ木造の帆船二隻が、晩秋のそよ風の中を山東半島の萊州港に接岸した。先頭に立って船を下りてきた日本人は犬上御田鍬(犬上三田耜)で、その後に薬師恵日らが従った。この一行が、すなわち中日友好交流史に輝く第一回遣唐使節団である。船には使節のほか留学生や僧侶二百人が同乗していた。萊州市は煙台市の西一九〇キロの所にあり、前に触れた竜口、蓬萊、栄成
Author: 本誌·曹復 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
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10. 聖跡·五台山巡礼(下)
前回、第十八回遣唐使とともに渡唐した円仁が五台山で見聞したものについてお話ししたが、文殊菩薩が現れると信じられ、それ故に中国仏教の聖地と崇められた五台山は、唐、宋と続く間に、円仁以外にもたくさんの日本人僧侶を巡礼に誘ったのである。霊仙―五台山を訪ねた先輩日本人前回、五台山中台の普通院を訪ねた円仁が、寺の中のあずまやで「日本人の内供奉、翻経大徳たる霊仙が此の寺に来た」と書かれた題字を目にしたという話
Author: 本誌·曹復 Year 1995 Issue 9 PDF HTML