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1. 山東省菏沢 牡丹の里にも開発の息吹
菏沢(かたく)は昔曹州といった。山東省の西南部にあって、面積12000平方キロ、人口約850万、黄河文化を生んだ重要な地域の一つである。黄河の流れが代々英雄、豪傑や文化人をはぐくんだ。2000年前の兵法家孫臏、唐末の農民蜂起の指導者黄巣、『水滸伝』の英雄宋江らは有名だ。この地には伝説の古代帝王尭の墓や黄巣挙兵の地など60余りの名所旧跡が今でも保存されている。この地区は10数年来の開発の結果、15部
Author: 文 張乾山 王恩普 写真 高玲 張国慶 Year 1995 Issue 5 PDF HTML
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2. ここは福安·畲(シエー)族の古里
畲(シエー)族は中国五十六民族のうち人口が第二十番目の約四十万人で、福建·浙江·広東·江西·安徽の各省に文布している。中でも福建省寧德地区の福安市は、五万八千人のシェー族が集中していれ「畲族第一の故郷」といわれる。シェー族の歴史は古く、かつて外敵を防いだ英雄·槃瓠(ばんこ)が皇帝の三女を嫁に貰い、更に槃·蘭·雷·鐘の四姓を贈られたが、のち山地に居を移して狩獵や焼き畑耕作で暮らしたのがシェー族の始ま
Author: 写真·文 王恩普 Year 1994 Issue 9 PDF HTML
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3. 金華ハムの産地 金華市
金華は古称を婺州(ぷしゆう)といい、その由来は金星と婺女星が輝きを争ったとの言い伝えによる。金華は有名な金華ハムの産地で、昔からハムの故里という異名もある浙江省中部の中心都市、人口は四三〇万。漢族のほかシェー族、回族、ミャオ族、満州族など三十六の民族が住んでいる。二千年の歴史をもち、浙江省中部の経済·貿易の中心地として発達してきた。また商業のほかに工業、農業も盛んで、省の食料基地ともいわれ、八百年
Author: 写真·文 王恩普 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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4. 健康増進も機械化時代30の機能もっ高級品も
「なにをやるにも体が元手」という。確かにそれは昔も今も変わらぬ真理だが、その健康を保ち、増進する方法が、ずいぶん変わってきた。経済のめざましい発展によって、中国でも八〇年代末ごろから、都市はもちろん、ちょっとした地方の町にもトレーニングセンターが店開きし、一般家庭にもさまざまの健康器具が入ってきたのだ。北京の「利生トレーニングセンター」と言えば、一九九一年にオープンしたとき九千人もの入会申し込み者
Author: 写真·文 王恩普 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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5. 王家大院―威容誇る豪族の邸
山西省の省都·太原の東南約百五十キロ、霊石県静昇鎮に、「王家大院」と呼ばれる堂々たる民家がある。王家は、古代の仙人王子喬の子孫と言われる、霊石県の四大名家の一つ。現存する建築群は清の初期、康煕年間(一六六二~一七二二)から百年以上にわたって建てられたもので、建築面積は実に十五万平方メートル、住宅五十四棟、部屋数千五十二室に上る。大院は、高家崖と紅門堡という東西二つのブロックに分かれ、一本の橋を隔で
Author: 写真 文·王恩普 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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6. 千年の歴史の村流坑
京九鉄道(北京―九竜)の開通で、これまで「内陸の孤島」だった江西省中部へ北と南からの鉄路が開けた。交通難の事情もあって、ここには時間がゆるやかに流れ、宋、明、清と続く千年の歴史を色濃く残した村―流坑(リュウコン)村がある。その見事な建築群、芸術品、伝統的な生活習俗は、一部の専門家を除いてほとんど知られることはなかった。巻末のグラフと合わせて、村の姿を詳細に紹介しよう。流坑村は江西省楽安(ローアン)
Author: 写真·王恩普 銀光燦 文·王恩普 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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7. 流坑に残る伝統習俗
流坑では村民の生活が安定し、純朴で、客好きの親切な人々に出会った。村の生活点景と、古くから伝わる風俗の一端をお伝えしよう。村は家屋の連なる七本の通りを一本の道が横に貫き、周囲を砦のように城壁が囲んでいる。村に入るには十六の出入り口があるだけで、そこには外敵を見張る望楼があり、後漢の城塁の遺風を残している。村内には路地が複雑に入り組み、「村の中に村」があるような構造で、よそ者はたちまち道に迷ってしま
Author: 写真·王恩普 詹楚強 文·王恩普 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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8. 古代伝説と風光美の王相岩
太行大峡谷で最も風光明媚な所といえば、王相岩(ワンシャンイェン)が挙げられる。伝承によれば、商代の二十二代の国王の武丁は、幼いころ父の命で林慮山に送られ、平民や奴隷とともに生活した。武丁は生産労働の意義や素朴な生活習慣を体得しただけでなく、傅(ふ)説という奴隷と親しくなった。彼の才略に感心した武丁は、即位後、傅説の力を借りたいと思ったが、当時は出身階級に厳しい奴隷社会で、すぐには実現はむずかしかっ
Author: 写真·王恩普 文·師文竜 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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9. 蔡立海さんのナンバープレートは、北京五〇〇〇〇〇一号。
常住人口約一千万の北京市は、また「自転車王国」。北京市公安局登録の自転車台数が、最近、ついに五百万台を突破した。ラッキーナンバー·「北京 五〇〇〇〇〇一」を手にしたのは、門頭溝建設局につとめる蔡立海さん。さっそく真新しい愛車に「ナンバー·プレート」をとりつけた(写真上)。「市民の足」·自転車も、こう多くなると交通整理にあたるおまわりさんは頭が痛い。朝七時半から八時にかけてのラッシュ·ピーク時、崇文
Author: 写真 王文瀾 王恩普 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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10. 松花江畔の大コンビナート
吉林省の吉林市にある「吉林化学工業公司」は、中国屈指の化学工業コンビナートとして知られている。労働者·職員は12万人、20億元余の資産と110余の設備を擁する代表的なマンモス企業に成長した。原料は石油と石炭。化学肥料、合成染料、カーバイド、石油精製、有機合成の五大工場を中心に、設計、科学技術研究、計器、機械、発電、鉱山開発、鉄道·道路輸送から従業員の生活までが一体になった一大コンビナートである。
Author: 〈本文参照〉写真 王恩普 Year 1991 Issue 3 PDF HTML