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Your search : [ author:文·趙声良 写真·孫志軍] Total 6 Search Results,Processed in 0.100 second(s)
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1. 第三窟 際立つ自然描写の妙
楡林窟第三窟はその他の窟と比べて規模が大きく、その中央に珍しい形の壇が設けられている。これは「壇城」と呼ばれるもので、この窟が密教と深いつながりを持っていることを示している。天井部の中央に見えるのは五方仏曼荼羅で、その周りを巻草紋や動物の文様、そして精緻な仏の絵が取り囲んでいる。窟の正面にあたる東側の壁には、中央に八塔変、その北側に十一面千手千眼観音変、南側に五十一面千手千眼観音変が描かれている。
Author: 文·趙声良 写真·孫志軍 Year 2001 Issue 4 PDF HTML
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2. 時超えて舞う飛天の美
一般に言う飛天とは、八部衆(仏法を守護する八種の下級神)の乾闥婆(けんだつば)(香音神)と緊那羅(きんなら)(音楽天)を指している。それぞれ音楽と歌舞を司る神で、仏教経典では、仏が説法する際に天から舞い下りてきて音楽を奏し、舞いながら花をまき散らして仏を讃えると記されている。敦煌壁画の説法図や経変図には、数多くの飛天が描かれている。楽器を奏でるもの、仏の功徳を讃嘆するもの、花をまき散らすものなど、
Author: 文·趙声良 写真·孫志軍 Year 2001 Issue 5 PDF HTML
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3. 多彩なる仏教と民族文化の世界
甘粛省安西県にある楡林窟は、敦煌の石窟を構成する重要な石窟群の一つだ。莫高窟の「姉妹窟」と称されるほど、その歴史的、芸術的価値には高いものがありながら、長い間一般には公開されてこなかった。小誌では今月から、楡林窟研究に長年携わってきた専門家たちの手記を連載し、この神秘の石窟を紹介していく。楡林河のほとりに位置する楡林窟は、またの名を万仏峡と言う。唐代から元代に至る四十二の洞窟が残っており、敦煌石窟
Author: 文 樊錦詩 写真 孫志軍 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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4. 第二十五窟 典雅なる「弥勒変」の世界
楡林窟第二十五窟は、楡林窟東岩中央に集まる唐代石窟群の中にある。造営されたのは、吐蕃が瓜州を占領した初期、すなわち大暦十一年(七七六)から建中二年(七八一)の間、あるいはそれよりやや遅い時代と見られる。主室は方形、前室は横長の長方形をしており、前室に通じる甬道(ようどう)が長く広々としているのが特徴だ。全体の構造を平面図にすると、「古」の字を逆さまにしたような形になっており、これは初唐期に長安やト
Author: 文·段文傑 写真·孫志軍 Year 2001 Issue 2 PDF HTML
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5. 今に残る玄奘と悟空の旅物語
唐の僧、玄奘三蔵が仏教経典を求めてインドに行った物語は、『西遊記』の生き生きとした描写によって民間に広まり、中国はもとより、日本の人々にも親しまれている。この物語は早くも北宋の時代には巷間に流布し、『大唐三蔵法師取経記』『大唐三蔵取経詩話』などの話本(宋代に流行した講談本)にもなった。そこにはおなじみの「猿行者」(『西遊記』でいう孫悟空)も登場する。ご存知の通り、花果山の紫雲洞に住んでいた猿の王が
Author: 文·段文傑 写真·孫志軍 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
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6. 壁面が伝える民の暮らし
楡林窟が造られたのは、沙州(現在の敦煌)の都から遠く離れた峡谷の中だ。地理的に西域の世界と接する楡林窟は、漢民族以外の民族文化の影響を多分に受けており、壁画にも当時の民の興味深い暮らしぶりが映し出されている。民の暮らし楡林窟第三窟に残る五十一面千手観音の変相図は、西夏(一〇三八~一二二七年)の社会生活の縮図というにふさわしい壁画だ。そこでは上から順に、次のような場面が描かれている。一、米搗き。ここ
Author: 文·譚蝉雪 写真·孫志軍 Year 2001 Issue 6 PDF HTML