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Your search : [ author:文·李順然 写真·劉世昭] Total 171 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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1. 第五話 万里の長城―秦
中国統一の大業を成し遂げた始皇帝は 「臨洮より遼東に至る広袤(こうぼう)万余里」の 万里の長城を築いた 漢、北魏、北斉、北周、隋、遼、金、明も この長城を繕い、守り、固めてきた そこに積み重ねられた一つ一つの煉瓦には 平和と統一を願う中華民族の心が 深く、深く刻まれているのだ朕·皇帝·始皇帝万里の長城というと頭に浮かぶのは、秦の始皇帝でしょう。紀元前二二二年に北京一帯を統治していた燕を滅ぼした秦は
Author: 文·李順然 写真·劉世昭 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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2. 第十話 李白のみた北京―唐
杜甫は「李白一斗詩百篇」と詠ったが 李白が雪の降る北京で綴った詩には 酒の匂いはあまり感じられない 安禄山の暴政に向けた焦り 憤り おのれの弱さに向けた歎き 悲しみ 民を愛し 国を憂う情に溢れている 李白は一字一句を心に刻みながら 春を待たずに北京を離れた万里の長城
Author: 文·李順然 写真·劉世昭 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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3. 奮闘の日中勢。期待のビアズリは足の故障がたたって芝生にダウン
「一九八四年北京国際マラソン」が行なわれたのは十月十四日。「馬拉松(マラソン)」の“外来語”も北京市民の耳になじんだためか、沿道には百万をこす大観衆が人垣をつくって盛んな声援をおくった。先頭集団がくずれたのは、後半の二六キロすぎから。前三門大街に入ってからは、日本の伊藤国光、喜多秀喜の文字どおり“一騎打ち”に(写真下)。最後、ゴール寸前で、ベテラン喜多が伊藤をふりきって、二時間一二分一六秒の好タイ
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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4. よみがえる“竜の首”。山海関長城の修復工事がスタート。
東は山海関から西は嘉峪関まで、延々一万二千華里(六千キロメートル)にわたって連なる「万里の長城」が、東に五キロほどさらに延びることになった。明代の名将·戚継光が築いた山海関は、長大な竜にたとえられる長城のいわば頭にあたる部分。燕山山脈の尾根づたいに延びた長城は、ここ山海関で首を南に曲げ、渤海に臨んで盤踞するかっこうになっている。長城の中でも最も壮大で険峻な景観として、古来、「天下第一関」の名で呼ば
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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5. 浙江省南部の石の町 五雲鎮
五雲鎮の町は、浙江省南部の山地にあり、縉雲県の県庁の所在地である。好渓という小さい川が町をつらぬいて流れている。いまは、杭州と温州を結ぶ陸上交通の要地になっているが、もとは小さな村落だった。唐代の天宝年間(七四二~七五五)に、この上空に五色の雲が現れ、ただよって行く雲の下に美しい楽の音がひびき、草木がいきいきと生長したので、人びとはここに町をつくり、五雲と名付けたといわれる。ここは凝灰岩の産地だ。
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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6. 「中国·日本合作出版撮影展覧会」本誌カメラマンの力作も!
五月十六日から二十四日まで、北京の中国美術館を会場に「中国·日本合作出版撮影展覧会」が開かれました。中国側は、人民美術出版社、文物出版社、北京美術撮影出版社、上海人民美術出版社、人民中国雑誌社。日本側は講談杜。中日六杜のカメラマンが、それぞれ自慢の力作をもちよったもので、中国、日本の“風貌”が、ずらり百四点並び、なかなかの壮観でした。わが人民中国雑誌杜からは、翁乃強、狄祥華、劉世昭、王恩普、魯忠民
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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7. これ 私がつくった新種なんです 北京の花の王様 薛守紀さん
花卉愛好者の多い北京では、ほとんどの家に植木鉢の五つや六つはあり、なにげなく置かれたものの中に、ひじょうに珍しいものがあったりする。北京の花好きが語る花の効用は……環境のアクセント。見て楽しく心が安まる。情操を養うのによく、花を見ていれば腹も立たない。老年者にとっては健康法を兼ねるもので、水やり、施肥、土いじりで体を動かすのはいいことだ。育てるほどに植えるほどに、愛好が専門になり、今では「花の王様
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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8. 近く東京と札幌で日本の方にも 見て頂きます中国の硬筆書道
中国で、書道が芸術の一つにかぞえられ、専門家が出るようになったのは、秦朝のころからで、その後、漢代を経て、唐代に至って大きく発展した。書体の規範化がはじまり、運筆や字くばりにも技巧をこらすようになって、書道家が多く出、書道の理論書が豊富になったのも唐代である。しかしこれは主に毛筆の書道についてであり、硬筆書道について述べたものは極めて少ない。近代になって紙や用具が発達し、ことにペン、鉛筆、ボールペ
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 11 PDF HTML
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9. ソ連バスケット·チーム 北京国際試合参加は実に37年ぶり
ゴール下での激しいボール争奪。対戦するのは、中国チームとソ連チーム。両チームは予選、決勝でつばぜり合いを演じた。八月下旬、「北京日報海燕テレビ杯」国際男子バスケットボール招待試合が開かれた。会場は北京·首都体育館。「世界の最高水準のチームが集まった」とロバート国際バスケットボール連盟会長が指摘するように、どの試合も見応えある展開だった。会場は熱気に包まれ、温度計はウナギのぼり、観戦もラクではない。
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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10. 初の全国農村素人のど自慢大会北京のヒノキ舞台にきそう
この夏八月、北京で、全国農村素人のど自慢大会が催されました。これは新中国成立以来、初の試みでしたが、盛況だったこと、言うまでもありません。この大会には、全国各地から、なんと三千人もの出場希望者が名のりを上げました。予選のために、希望者はまず、自分の“十八番(おはこ)”の歌を二曲、テープに吹き込んで北京の主催団体あてに送ります。中国音楽家協会では、専門家を集めて、テープによる予選にまる十日間かけ、四
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 12 PDF HTML