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Your search : [ author:文·孟皋卿 写真·譚実 魯忠民] Total 480 Search Results,Processed in 0.154 second(s)
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1. 泥人形 双啓翔さん
海外では「ペキン·オペラ」の名で呼ばれる中国の京劇。はなやかな舞台衣装にもまして興味をそそるのが、俳優の顔にほどこされる“くまどり”―臉譜(リエンプー)だろう。双啓翔さんは、子供のころから、この臉譜に似せてつくられたお面が大好きで、ちょうど日本の子供が「鉄腕アトム」や「ドラえもん」のお面をかぶって遊ぶように、双少年も、くまどりのお面をかぶっては、あの胡同(フートン)この胡同を駆け回ったのだという。
Author: 写真/譚実 魯忠民 文/孟皋卿 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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2. しんこ細工 郎紹安さん
日本でも、ひと昔前までは、縁日で“しんこ細工”の屋台が見られたとか。中国のしんこ細工は、ふつう「麺人(ミエンレン)」と呼ばれ、芸術的水準の高いものは、また「麺塑(ミエンスー)」の称でも呼ばれる。歴史は古い。宋の孟元老の撰になる『東京夢華録(とうけいむかろく)』には「清明節をま近にひかえ、……寒食(かんしよく)の日の前日を炊熟(ずいじゆく)という。麺を用いてつばめをかたどり、なつめを入れた餅(ビン)
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 魯忠民 Year 1990 Issue 2 PDF HTML
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3. 曹氏風箏 孔祥沢さん
凧(たこ)は中国に発祥し、二千年の歴史をもつ。五代になると、竹製のうなりを取りつけるようになり、風に乗って爽やかな音をたてるところから、「風箏(フオンヂオン)」(風の琴)と呼ばれるようになった。立春から清明にかけて、春の訪れをことほぐかのように、中国の大地のそこかしこで、さまざまな凧が大空を翔(かけ)る。『紅楼夢』の作者·曹雪芹に、凧を研究した著作『南鷂北鳶考工誌』があるのをご存知だろうか。凧の歴
Author: 写真/譚実 魯忠民 文/孟皋卿 Year 1990 Issue 3 PDF HTML
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4. 毛猴(マオホウ) 曹儀簡さん
この小さな細工物の材料は、何なのだろう。今の子供たちには、説明を聞いても 、分からないかも知れない。材料は、ハクモクレンの冬芽の表皮とセミのぬけがら。寒い冬を越すハクモクレ ンの越冬芽は、密生した細かい毛でおおわれている。この冬芽の表皮を胴体に、セ ミのぬけがらで、頭、手、足を付け、サルをかたどった細工が「毛猴(マオホウ)
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 魯忠民 Year 1990 Issue 4 PDF HTML
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5. 鬃人(ゾンレン) 白大成さん
北京の園遊会や縁日でよく見かける人だかり、ピカピカのしんちゅうのお盆に目をこらし待つことしばし、人形つかいが両手で木槌をあやつって、チャンチャン、チャチャンとお盆を叩くと、乗っている人形が生きているように動き出す。孫悟空が天界で大あばれする場面だったりすると、もう子供たちの目はまんまる。中国に古くから伝わる「鬃人」という人形だ。清末民初のころ北京で大流行したそうで、王春佩という人が考えつき、独占経
Author: 写真/譚実 魯忠民 文/孟皋卿 Year 1990 Issue 5 PDF HTML
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6. 草編 裕庸さん
草編工芸は北京では歴史が浅く、清朝の末ごろに斉玉山という人が始めたとされている。斉玉山は北京の近郊に住み、しなやかで強い馬蓮草という草で、亀や蛇や竜などいろいろなものを編んでいた。市内の隆福寺や護国寺、白塔寺などの縁日のたびに主催者は使いをやって斉玉山を迎えて、縁日で実演即売をしてもらい、日が暮れるとまた人力車で家まで送ったというから、かなり有名だったらしい。裕庸さんは、十四のときに、白塔寺の縁日
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 魯忠民 Year 1990 Issue 6 PDF HTML
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7. 刀馬人 韓増啓さん
「刀馬人」とよばれるこういう人形は、清朝の滅亡によって失業してしまった近衛軍の、ある騎兵が、糊口をしのぐために作って売ったのがはじまりで、その騎兵というのは、韓増啓さんのおじいさんだ。失業したおじいさんは、以前せともの工場で見習いをしていたときに覚えた腕で、土の馬や犬やらくだを作りはじめた。縁日のときに護国寺や白塔寺などへ持って行くと、まずまずの売れ行きで、なんとか暮らしは立った。なにしろ馬背上の
Author: 写真/譚実 魯忠民 文/孟皋卿 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
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8. 影絵人形 劉季霖さん
長い伝統に培われた中国の影絵芝居は、戯曲、音楽、美術、民間文学、時には宗教までもが渾然一体となった総合芸術の性格を帯びている。中国語で「皮影(ヒーイン)」あるいは「驢皮影(リユヒーイン)」と呼ばれるのは、ロバの皮を薄くなめしてから、芝居の登場人物の形に切り抜き、彫刻と着色をほどこして影絵人形に仕立てたことから。今日なお、中国の多くの影絵人形はロバの皮をその主要な材料としている。皮細工は、早く戦国時
Author: 写真/譚実 魯忠民 文/孟皋卿 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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9. 絨花(ロンホワ) 夏文富さん
作品提供·劉季霖 北京絨鳥廠ビロードの造花のことを、中国語では「絨花(ロンホワ)」というが、北京でその絨花を作るようになったのは、遠く盛唐(七一二~七六五年)のころにさかのぼるという。清代になって大いにさかんとなり、皇帝の結婚式にも、さまざまの豪華な造花が皇后の身を飾り、慶事にあでやかないろどりを添えた。それらは、民間のものと区別してとくに「宮花」と呼ばれ、いまも故宮博物院に所蔵されている。すでに
Author: 文/孟皋卿 写真/譚実 魯忠民 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
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10. 練り粉人形 劉蔭茹さん
新中国が生まれる前、北京の練り粉人形には三つの流派があった。その一つ、曹派を起こした曹儀策は、ミニチュアを得意とし、端正で古雅な作風で高く評価されていたが、不幸にも五十四歳で病死した。残されたその二人の弟子の一人が、ここに紹介する劉蔭茹さんだ。一九五五年北京生まれ。早くから絵や音楽が好きだったが、小学二年生のとき見た「覇王別姫」(項羽と虞(ぐ)姫の最期を描いた京劇)の練り粉人形が、運命的な出会いと
Author: 文/孟皋卿 写真/譚実 魯忠民 Year 1990 Issue 12 PDF HTML