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1. マンゴーの里―雲南省景谷ダイ族·イ族自治県
朝早く、わたしたちは鎮沅(チェンユアン)を出発し景谷(チンクー)へ向かった。北の方ではもう冬だというのに、ここでは道端に咲く美しい花々がわたしたちの目を楽しませてくれる。景谷はダイ族の言葉で「芒果(マンゴー)の町」という意味だ。車が景谷に近づくにつれて、どこかにマンゴーの実がなっていないかと、わたしは道の両わきをきょろきょろと見回した。「象牙マンゴー」の始祖マンゴーの木は、景谷の山や村の至る所に生
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·胡婭華(フーヤーホワ) 劉東平 Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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2. 首狩り族の末えい
わたしたちは雲南省思茅(スーマオ)市を離れ、西へ向かった。険しい谷間をとうとうと流れる瀾滄江(ランツァン)(メコン川の上流)を越え、山里にあるラフ族の町を過ぎてさらに進むと、山はますます険しさを増した。雲南省西南部、ミャンマーとの国境に近いこの山地は阿佤(アワ)山と呼ばれている。「司崗里(スーカンリー)」の由来雲南省西盟(シーモン)ワー(佤)族自治県の県庁所在地が、見えてきた。町のメーンストリート
Author: 文·劉東平(リウトンピン) 写真·胡婭華(フーヤーホワ) 劉東平 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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3. 神秘の熱帯樹を見る―シーサンパンナ
西盟(シーモン)の阿佤(アワ)山から瀾滄(ランツアン)県を抜けてシーサンパンナに入ってからは道が徐々になだらかになり、鬱蒼(うっそう)としたパラゴムノキの森を背景に青々とした水田が広がった。道を行く色鮮やかなスカートをまとった少女たち、自転車に乗った赤い帽子の少年たちが、この肥沃な土地にいっそうあでやかさを添えている。景真の八角亭勐海(モンハイ)県まであと十数キロという時、山の上に美しい多角形の建
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·胡婭華(フーヤーホア) 劉東平 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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4. 江南の歴史とともに―江蘇省常州
江南の名所はと問われれば、いくらでも名を挙げることができる。鎮江(チェンチアン)、無錫(ウーシー)、宜興(イーシン)、常熟(チャンシュー)、蘇州(スーチョウ)……たちまち五本の指がいっぱいになる。今回訪れた大運河沿いの町常州(チャンチョウ)は南京(ナンチン)と無錫の中間にあり、清(しん)(一六四四~一九一一年)の乾隆(けんりゅう)皇帝は、六回に及んだ南巡(江南視察)の際、常州に立ち寄っている。謎の
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·劉東平 陳馨(チエンシン) Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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5. “縁結び作戦”進行中
姉の悩み「女は年頃になったら嫁に行くべし」中国ではよくこんな言い方をするが、私の姉瑩瑩(いとこインイン)は今年もう三十二歳になるのにまだ結婚していない。こう言ってはなんだが、姉は上品でしとやか、教養も人並み以上ある。それなのに、なぜいまだに結婚相手が見つからないのか。話せば長くなるが、「文革」がはじまったころ、まだ天真爛漫な中学生だった姉は、「知識青年は農村へ行くべし」という当時の大勢にしたがって
Author: 劉東平 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. 中等職業教育のモデル校北京勁松職業高校を訪ねて
わたしは北京市東南の一勁松」団地に住んでいる。このあたりには高層ビルが林立し、道路は広く、街路樹も緑豊かである。家からほど近いところに、沙板荘中学校がある。毎日の出勤途上、学生たちがかばんを背おい、数人ずつ連れだって学校に入っていく光景をよく目にする。が、ある日正門わきにかけてある校名が「勁松職業高校」に変わっているのに気づいた。それに、学生の服装も違う。ジャンバー風の作業服を着ているもの、コック
Author: 劉東平 Year 1985 Issue 11 PDF HTML
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7. よい子を生んで上手に育てよう
最近、北京市計画出産委員会で知り得たところによると、この人口九二三万人余をようする大都会北京市はすでに人口数を効果的にコントロールし、人口の伸びを計画的に抑制することができるという。六十年代中期、まだ計画出産を実行していない時、北京市の人口の自然増加率は千人につき(以下同じ)三十五前後であったが、一九八四年には八·五九となった。この二十年間に、人口の自然増加率は二六·四一低下し、すなわち二百五十六
Author: 劉東平 Year 1985 Issue 12 PDF HTML
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8. 中日友好病院を見学して
中日友好病院は北京の東北の方向、桜花路の東側にあり、一九八四年十月の開業いらい、一年あまりたった。数多くある北京の大病院のうちでも一番若い病院であるが、後の雁が先になるとのことわざのように、その名声は広く国内外に伝えられている。先日、筆者はこの病院を見学した。最先端の医療設備敷地八〇〇〇平方メートルをこえるこの病院は、十四階建ての病棟を主体として外来診察用ビル、リハビリ·センター、臨床科学研究所、
Author: 劉東平 Year 1986 Issue 5 PDF HTML
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9. ちびっこ発明家 三人の場合
中国の青少年の間に、今、ちょっとした“発明ブーム”がまきおこっています。科学教育が年を追って定着していることの、ひとつの現われといってもいいでしょう。1982年から、中国科学技術協会が中心になって催す「全国青少年発明·科学論文コンクール」も、三回、開かれています。
Author: 劉東平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML
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10. 知恵遅れの子供たちのために
知恵遅れの子供たちがいる。先天性のもの、出産時に原因するもの、あるいは疾病による後天的なものなどさまざまだが、これらの子供たちは、家庭の負担を増すとともに、社会的にも重荷となっている。中国児童発展センターの中のある連絡部門が、一九八二年に北京市西城区の廠橋地区で実施した調査によると、零歳~十四歳の児童のうち、知力低下の子が〇·七八%いた。この数字から推算すると、中国には二百万あまりの知恵遅れの子供
Author: 劉東平 Year 1988 Issue 11 PDF HTML