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Your search : [ author:文·写真 劉世昭] Total 997 Search Results,Processed in 0.090 second(s)
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1. 江蘇省湊漣鎮ある水郷の清明節
面積○·五四平方キロ、人口約一万八千人。江蘇省揚州市泰県にある湊滝(しんとう)鎮は、清明節の墓参りと「会船」まつりで有名なところだ。湊は「水がどんどん流れる」という意味、滝はコ局い」。その名の通り、この町は一帯が水郷で、どこへ行くにも船に乗り、橋を渡るしかない。祖先の霊をなぐさめる清明節(冬至から数えて百五日目、ことしは四月四日)が来ると、人びとはまだ薄暗いうちに起き出し、お墓に供えるご飯、爆竹、
Author: 文·写真劉世昭 Year 1992 Issue 4 PDF HTML
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2. 伝統が息づくチベット族の踊り
アバ(阿壩)·チベット族チャン族自治州は、四川省の西北部、青海·チベット高原の東側に位置している。面積八万四千平方キロ、人口は約八十五万人。ここには中国では二番目に大きい草原があり、三十万ヘクタールにおよぶ国の高原沼沢湿地保護区がある。また、千キロを超す峡谷、、三十以土の海抜五千メートルを超す雪山、標高の低い山地に形成された珍しい氷河もある。中国の二大文化の揺り籠といわれる黄河と長江が、まるで肩が
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2005 Issue 1 PDF HTML
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3. 夏秋牧場のテント生活
草原、湿地、チベット族やチャン族の豊かな文化が保護されている、アバ(阿壩)·チベット族チャン族自治州。四川省の西北部、青海·チベット高原の東側に位置しており、面積八万四千平方キロ、人口は約八十五万人を抱える。 まだ訪れる人の少ない秘境の地であるアバを、自然、各民族の習俗、文物などを通し、一年間にわたって、写真と共に紹介していく。 (協力=アバ州政府·大九寨管理委員会)中国工農紅軍は、二万五千里長征
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 1 PDF HTML
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4. 黄河をはぐくむズオゲ湿原
「世界の屋根」と呼ばれる青海·チベット高原は、地球の南極と北極に次いで「第三極」とも称され、その東の縁には世界で最大の高原泥炭沼沢湿地がある。
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 2 PDF HTML
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5. 達扎(タツァ)寺を担う若き活仏
達扎(タツァ)寺は、ズオゲ(若爾蓋)県の東北部にあり、清の康煕二年(一六六三年)に建てられた、チベット仏教のゲルー派寺院である。一九六六年から七六年の「文化大革命」の時期に寺は破壊されたが、一九八〇年代初めに建て直された。 一九九〇年、活仏転生制度が政府の許可で回復された際、最初に認められた活仏たちの一人が、現在のタツァ寺の第七世活仏·タツァ·ガラントブダンラシジャンツォで、当時二十四歳だった。多
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 3 PDF HTML
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6. 祈りに生きる ウオラン村の人々
アバ(阿壩)という名称は、唐時代を起源とする。唐の貞観十二年(六三八年)、吐蕃(とばん)は、現在のスウンチュ(松潘)である松州の西のチャン族の地を占領した。その時、吐蕃の奥地アリ(阿里)からこの地に移り住んだ人たちは、自らをアリワ(阿里娃)と称した。年月が経つにつれ、アリワはアワ(阿娃)と略称され、漢語ではアバと呼ばれるようになった。「ドバン」に集まる人々の願い朝早く、アバ県城(県政府の所在地)の
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 4 PDF HTML
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7. 好太王碑で名高い高句麗の遺跡
清の光緒3年(1877年)、碑文などに興味を持っていた1人の役人が、偶然、荒れ野の草むらの中から、巨大な石碑を見つけた。それは、千年以上も前に消失した古い国·高句麗か、もう一度私たちの前にその姿を現した瞬間でもあった。この石碑は、吉林省集安市郊外に立っている「好太王碑」である。七百余年の高句麗政権「好太王(広開土王)碑」の碑文や『魏書』『三国史記』などによると、高句麗の始祖とされる朱蒙についてこう
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 5 PDF HTML
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8. あらゆる宝石を身につける「ザツォン祭」
アバでは、毎年九月十五日から「ザツォン(扎崇)祭」という、物資交易会が開催される。
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 5 PDF HTML
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9. 石に刻まれた膨大な数のチベット大蔵経
チベット語で「草地にある寺」を意味するバントゥ(棒托)寺は、世界唯一といわれる、五十万枚の石板に刻まれたチベット語の『大蔵経』と、四十もの仏塔でその名を知られている。高さ九メートル以上に積み重ねられた『大蔵経』の「山」は、五百九十八平方メートルの面積を占める。
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 6 PDF HTML
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10. 自然と融合した気品ある皇室庭園
一七〇一年の秋、清の康熈帝(在位一六六一~一七二二年)は、文官と武官を率いて、二十四度目の北部への巡視に出かけ、木蘭猟場で狩猟を行った。 熱河の宿営に着いたとき、奇異な峰がそびえ立った、すばらしい景観が目に入った。そして康煕帝は、この山と水に囲まれ、広々とした土地に、行宮を建設するよう直隷(河北省の旧称)総督に動じたのだった。 それ以来、八十九年の間、わずか二十数戸しかなかった小さな山村は、世界最
Author: 劉世昭=文·写真 Year 2006 Issue 7 PDF HTML