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写真·馮進] Total 208 Search Results,Processed in 0.179 second(s)
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1. 白馬寺―インド僧を迎えて開基
雑誌『人民中国』という花園で、私は三十六年間もろもろの中日友好の花を読者のみなさんに紹介してきた。中でも忘れられないのが、仏教関係の取材をした思い出だ。ラクダに揺られてシルクロードの砂漠をのろのろと越えたとき、私は玄奘三蔵のインドへの旅の辛苦に限りない敬仰の念を抱いた。日本の奈良国立博物館で、鑑真和上の日本渡海絵巻を前にしたときは、粛然と襟をただした。命を賭して唐に渡った空海和上、面壁九年の修行に
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 1 PDF HTML
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2. 国際化進む少林寺拳法
中国には「天下の武術は少林寺より出ずる」という言葉がある。河南省登封市にあるこの寺は禅宗の開祖菩提達磨(ぼだいだるま)が法を伝えた場所として、そして少林寺拳法発祥の地としても有名だ。少林寺の僧侶たちが武術の修練をするようになったのは、唐朝の初期、李世民(後の太宗皇帝)が皇位継承を狙って起こした玄武門の変(六二六年)に端を発している。敵に追われた李世民が少林寺に逃げ込み、十三人の僧侶が棍棒を手に敵を
Author: 写真·馮進 文·丘桓興 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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3. 竜門の石窟―仏教に帝権の反映
竜門石窟の一角白馬寺をあとにして、私たちは同じ洛陽市の南十三キロ、伊水のほとりにある竜門の石窟を訪れた。伊水は、この付近で竜門山と香山の間を流れるので、古くは「伊闕」(いけつ)(闕は、宮門の左右両側にある望楼のこと)と呼ばれ、隋唐の時代はふつう竜門と呼ばれていた。千年の仏龕二千三百座石窟を開削した寺院は、インドに始まった。三世紀にシルクロードを経由して新疆の亀兹(きじ)国(今のクチャ)に伝わり、さ
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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4. 少林寺―禅と拳法の聖地
禅宗と少林拳法の発祥の地として知られる少林寺は、洛陽の東南約六十キロ、河南省登封県少室山の北麓にある。創建は、北魏·孝文帝の太和十九年(四九五)。当時は一帯に林が茂っていたので、この名がついた。現在の少林寺は、山門内の白衣殿、千仏殿(別名、毘盧(?)閣)などのほか、門外の初祖庵、二祖庵、達磨(だろま)洞、塔林などを含む。達磨、面壁九年の修行禅は、インドに始まる。梁·武帝の大通元年(五二七)、仏の正
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 3 PDF HTML
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5. 隆興寺―宋代芸術の宝庫
河北省の省都·石家荘市の北に隣接する正定県に、隆興寺という古寺がある。創建は隋の開皇六年(五八六)、当時は竜蔵寺といった。北宋の開宝四年(九七一)の再建で大きく拡張され、このとき隆興寺と改称した。当時の建築様式のほか、彫刻、壁画、書などの貴重な文物を今に伝え、宋代芸術の宝庫と称されている。摩尼殿に見る時代性隆興寺は、敷地八万二千五百平方メートルという広大な寺院。「双竜戯珠」の照壁(正門の後ろにある
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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6. 福慶寺―峡谷の上に立つ仏閣
河北省の省都·石家荘市の西六十キロ、井陘(せいけい)県の深い峡谷の絶壁に、福慶寺という古刹が立っている。隆興寺の取材を終えた私たちは、雪の降りしきる一日、この寺を訪れた。このあたりは太行山脈の中腹に当たり、昔から交通の要衝、兵家必争の地とされてきた。秦の始皇帝が造
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 7 PDF HTML
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7. 国清寺―天台宗開創の庭
北京から汽車で南へ千六百六十キロ余、十八時間で杭州に着き、長距離バスに乗り換えてさらに南へ二百六十キロ、約四時間で浙江省天台県の県城(県政府のある町)に着いた。緑の麦畑と茶畑が車窓いっぱいに広がり、菜の花は黄色に、桃の花はピンク色に染まって、江南の三月はもうすっかり春だった。県城から三キロ北、五つの峰に囲まれた山中に、天台宗開創の庭、国清寺があった。二本の渓流が寺を包むように流れ、すぐそばに三つ星
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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8. 普陀山(上)―観音菩薩の霊場
浙江省寧波から快速船で一時間、私たちは舟山群島の普陀山にやってきた。経典を求めて天竺(てんじく)(インド)への旅を続ける玄奘三蔵の一行は、途中で九九、八十一度の難に遭った。その中には、孫悟空の神通力も及ばぬ絶体絶命の危機があったが、そのとき南海普陀山の観音菩薩が救援に現れ、無辺の法力で妖魔を退けた……と『西遊記』は語る。私たちが上陸した面積一二·五平方キロの島が、まさにその南海普陀山なのだ。日本へ
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 9 PDF HTML
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9. 普陀山(下)―観音菩薩のさまざま
普済寺の取材を終えた私たちは、その日の午後、普陀山南端の竜湾崗に足を伸ばした。その最高部に、南海観音の露天銅像が建つ。祭られたのは一九九七年、重さ七十トン、高さ二十メートル、台座からだと三十三メートルにもなる。大海に面して日光に輝き、荘厳で慈悲に満ちたお顔に、粛然たる感動を覚えた。夕刻、普済寺に戻り、普陀山仏教協会のお世話で宿坊に泊めていただく。おかげで私たちは、いくつかの伽藍でいろいろな仏事を拝
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 10 PDF HTML
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10. 天童寺―曹洞宗開創の庭
浙江省寧波の東二十五キロ、太白山のふもとにある天童寺は、曹洞宗発祥の庭として、日本でも有名だ。山と寺の名前については、こんな伝説がある。西晋の永康元年(三〇〇)、義興という行脚僧が、秀麗な山水に魅せられてこの地にとどまり、読経に励みながら精舎の建立にかかった。付近にはまだ一軒の人家もなかったのに、一人の童子が毎日現れ、たきぎを運んだり水をくんでくれた。精舎が完成したとき、童子は義興大師に「私は太白
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 11 PDF HTML