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え·虹霖] Total 24 Search Results,Processed in 0.109 second(s)
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1. 宝の飼葉桶
わたしたちの村からほど近いところに松の木のこんもりと茂つた山があります。山は高くて、どこまでもつづいています。少なくとも百華里はあるでしようか。夏になると、山の頂には、いつも白い薄雲がかかります。山には一抱えもある松の木が沢山生えていて、年じゆう青あおと枝をしげらせています。あの山のいちばん高い頂に石の像が立つていますが、言い伝えによるとあの石像は牛飼いの牧童をかたどつた像で、あの山が生まれたのも
Author: 整理·董均倫 江源 え·虹霖 Year 1960 Issue 2 PDF HTML
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2. 蕎麥むすめ
むかし、あるところに忙生(マンシヨン)という男の子がおりました。両親は忙生が十三歳の時にどちらもこの世を去りました。親たちは一生汗水ながして働いてやつと、川のほとりの猫の額ほどの荒れ地を息子のためにのこすことができました。けれどもそこは、川の水かさがませばすぐ水びたしになるし、大風が吹けばすぐ砂で埋まつてしまうし、とても畑にはなりつこない、と誰からも見放されているようなところでした。さいわい、隣近
Author: 整理·董均倫 江源 え·虹霖 Year 1960 Issue 3 PDF HTML
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3. 薬草山
あるところに高い山がありました。山の上にはどんな藥草でも生えているので、藥草山とよばれていました。藥草山はだれもてつぺんまで登つたものがいないので、どれほど高い山か見当がつきませんでした。むかし、この藥草山のふもとの村に、びんぼう人の夫婦がすんでいました。ある年赤ん坊が生まれたので、夫婦は大そうよろこびましたが、びんぼう人の家に生まれた子供のゆく末をかんがえると、暗い氣持にもなります。けれど母親が
Author: 整理·董均倫 江源 え·張楽平 Year 1958 Issue 3 PDF HTML
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4. 玉右の鹿
わしらの村の西南に、鹿山(ルーシヤン)とよばれる山があります。その山のふもとの泉は、どんなに日照のときでも涸れることがないので、「天女の泉」と呼ばれていました。鹿山のなかに、玉石の鹿が一頭いるといわれていました。ある人が山をおりしなにコツコツ走るひずめの音を聞いたそうですが、まだだれもほんとに見た人はいませんでした。むかし、この村に李千金(リーチエンチン)という名の地主がいました。血もなみだもない
Author: 整理 董均倫 江源 え 李玉紅 Year 1961 Issue 7 PDF HTML
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5. 赤い泉
むかし、あるところに石囤(シートン)という若者がいました。たいへんな働きもので腕ききでした。ある年の春、石囤は玉花(ユイホワ)という名の娘をお嫁さんにもらいました。そのお嫁さんは真珠のように美しく、そのうえたいへんな働きものでした。こんなすばらしい二人がいっしょになったのですから、その仲はむつまじく、人もうらやむほどでした。ところが世の中にはよいことばかりはないもので石囤には意地の悪いまま母がいま
Author: 整理·董均倫 江源 え·李玉紅 Year 1964 Issue 8 PDF HTML
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6. クヤシ鳥のはなし
むかし、東方の海岸に胡四(フースー)という名の漁師がおりました。十歳を過ぎたころから海へ出て漁をするようになり、もう二十何年も魚をとって暮らしていました。胡四がいままでにとった魚をつみあげたら小山よりも高くなったでしょう。けれども彼はたいへん貧しくて、その日暮しをしていました。魚をとって暮らしているというのに、小舟はおろか、網さえもっていませんでした。毎日海へゆくときは、網元から舟をかりてゆきまし
Author: 整理董均倫 江源 え李玉紅 Year 1964 Issue 10 PDF HTML
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7. はたらきものの次男坊
むかし、山のふもとのある村に一軒の農家がありました。その農家にはおじいさんと二人のむすこ、それにうえのむすこの嫁がいっしょに住んでいました。二番目のむすこはおじいさんが年をとってから生れた子なので、「二小」(アルシヤオ)(二番目の小さいむすこ)とよんでたいへん可愛がられていました。二小はかしこくて、それに働きものでしたから、だれからも好かれていました。二小が一三になったとき、おじいさんは病気になっ
Author: 整理·董均倫 江源 え·李玉紅 Year 1964 Issue 12 PDF HTML
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8. 三人兄弟
ずつと昔は、わたしたちのこの村も、ひんそうな水なし村で、何もそだたず、それはひどいものだつたということです。あの頃、大北山(だいほくざん)(ターペイシヤン)のてつぺんにのぼると、見わたすかぎりの黃色い土で、木一本見あたらなかつたそうです。ちよつとでも風がふくと、黃色い土ほこりが空をおおい、畑はかわききつて、作物もろくにみのりません。十軒のうち九軒は貧乏で年ぢゆう腹をすかし、食いつめて逃げるように村
Author: 整理·董均倫 江源(トンチユンルンチヤンユワン) Year 1958 Issue 11 PDF HTML
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9. 七色の橋
むかしむかし、チベツトのアパ草原の近くに、小さな盆地がありました。まわりを高い山にかこまれたその盆地には川がありました。方々の谷間からながれ出た水があつまつて、ひとすじの淸らかな川となつて流れているのでした。川には橋がかかつていませんでした。その川のこちら側には、タルザレルという若者が住み、向う側にはタマツという娘が住んでいました。二人は、ちいさい時から、每日、羊を追つて川岸の草地にやつてきては顏
Author: 文·粛崇素 え·虹霖 Year 1958 Issue 8 PDF HTML
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10. 馬頭琴の話
蒙古の牧人たちの愛している楽器に、棹のはしに馬の頭のかざりのついた馬頭琴(マートウチン)という、胡弓を大きくしたような楽器があります。ところで、この馬頭琴は、チヤハール草原のスへとよばれる牧童がつくり出したものだといわれています。スへは小さい時から両親に死にわかれ、お婆さんの手ひとつでそだてられました。スへとお婆さんは二十匹あまりの羊を飼つて、それでくらしをたてていました。それで、每日羊の番をする
Author: 整理·塞野 え·虹霖 Year 1959 Issue 1 PDF HTML