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Your search : [ author:戴郁思 李奈] Total 27 Search Results,Processed in 0.119 second(s)
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1. なぜ村ぐるみ豊かになったのか―その秘密
村の貧しさあの十年の動乱「文化大革命」の嵐を乗り越えて、一九七七年の夏、五十二歳の閻建章さんは、再び河北省蠡県辛興村の党支部書記に返り咲いた。村の人びとの信頼と、期待を一身に荷なっての登場だった。しかし、現実は彼の想像以上にきびしかった。ある日閻さんは、三人の農民をつれて畑の排水にでかけた。これは就任後の最初の野良仕事だ。かれらは朝はやばやと畑にやって来た。しかし三人はついてからもすぐ仕事にとりか
Author: 戴郁思 李奈 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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2. 「料理をつくるのも友誼のため……」
申広勝さんは北京飯店(ホテル)のコックで、今年二十六歳になる。平凡な持場で働くこの若ものは、去年の八月、光栄にも中国共産党第十回全国代表大会に出席して、偉大な指導者毛主席とお会いすることができた。かれは、代表たちと共に党や国家の問題を討論し、生涯で最も幸福な日を過ごした。試してみよう申広勝さんが中学校を卒業したのは十年まえのことだ。その頃かれは工場へ入って労働者となるか、農村へ行って新しいタイプの
Author: 李奈 Year 1974 Issue 4 PDF HTML
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3. 震災孤児の物語
ある日、北京放送局が紹介した、震災孤児の女の子の物語に強く引きつけられたわたしは、早速その孤児を育てている、中国人民解放軍二六八病院に車を走らせた。われわれが病院の幼稚園に着いたとき、その子は、大勢のチビッ子と滑り台で遊びに夢中になっていた。滑り台は、この一歳半の子供には、まだ少し早すぎるのだろう、滑り下りるとき、やや顔をこわばらせていた。「もう終わりにしましょうね」と保母さんにいわれても、みんな
Author: 李奈 Year 1977 Issue 12 PDF HTML
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4. 機械化をめざす中国の農業
八億の人口をもつ中国は、いつも農業を国民経済の基礎にし、その発展を優先させてきたのである。世界の人口の四分の一を占める人びとの衣食問題を解決するには、農業を急速に発展させる以外に方法はない。さもなければ大きな潜在力をもつ工業にたいして日ましに必要とされる農産物を提供することはとうていできない。この三十年ちかくの間に、かつての貧しく、立ちおくれ、飢餓に苦しめられた中国が現在このように多い人口の衣料と
Author: 李奈 Year 1978 Issue 5 PDF HTML
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5. 大連港にみる中日貿易
長いあいだの願いがかなって、ついに旅大市を訪れることができた。ここは、山を背に海にのぞみ、気候は温和で、樹木は繁り、資源も豊富な都市である。工業中心でもあり、貿易港でもある旅大市は、工業や人口の過密な北京等の都市とちがって、騒音や混雑があまりなく、人びとに静かな、ととのった感じをあたえる。旅大市は、旅順と大連の二地区からなり、遼東半島の南端に位し、黄海にのぞむ、遼寧省の都市で、人口は一四〇余万であ
Author: 李奈 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
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6. “三難都市”瀋陽は変わった
遼寧省の瀋陽市は上海、北京、天津につぐ全国で四番目の東北屈指の大都市である。しかし、ここ二〇年近くにわたって宿泊難、食事難、交通難の“三難”都市として悪名高かった。だが、ここ一年の変貌はすばらしく、記者の現地ルポによってそのいったんを紹介したい。私が瀋陽市を訪ねるのは今度で二度目である。最初は、六年前の一九七四年に、遼寧省の知識青年の状況を取材するのが目的だった。滞在した五日間の印象は、不愉快とい
Author: 李奈 Year 1980 Issue 10 PDF HTML
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7. 4 14年ぶりに見たわが村
やっと身を固めた張君今年は半年足らずのうちに二度も帰郷した。春節(旧正月)と夏の取り入れのあとの二回である。わたしの郷里は、河北省磁県·李家荘人民公社南豆公生産大隊で、北京から汽車で南へ七時間ばかりの河南省境近くにある。なが年記者として国内各地を取材してまわっていたので、郷里の近くを通る機会は何度もあったが、十四年間、郷里に帰らなかった。なぜかというと、理由はひとつ。わたしが「黒いレッテル」をはら
Author: 李奈 Year 1981 Issue 10 PDF HTML
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8. 北京西郊の商店街を歩く
彼女たちも「大釜の飯」を打破昨年、日本訪問から帰ってきた私が、日本の商業·サービス業を話題にしたさい、もう少しで妻の妹と口論になるところだった。彼女は国営デパートの営業部の組長。長いあいだ、私は中国の商業·サービス業にはびこった消費者無視の「お役所商法」、とくに、あの我慢ができない接客態度にひじょうな反感を持っていた。そのため、商業畑の彼女にあうたび、その不満をもらすのが常だった。こうした時、彼女
Author: 李奈 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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9. 蔵北草原に入る
まず厳重に身体検査昨年の青海篇のあとを受け、こんどは私と王カメラマンがチベットへ取材と聞いて、家の者は大反対、ほかの人たちもあまり賛成しなかった。へんぴで、交通不便、生活も大変だ。とりわけ、高い所で酸素が少ないし、五十近い者が、それほど丈夫でもない体で、そんな所に適応できるものか、万一の事があったらどうするんだ。周りでいろいろ言うので、うちの奥さんはとても不安になり、出発の日には涙を浮かべていたも
Author: 李奈 Year 1987 Issue 4 PDF HTML
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10. 伝統の祝日―賽馬節
太陽エネルギーと牛糞エネルギー那曲(ナツチユ)は人口一万の小さい町だが、青蔵公路と川蔵公路それに新蔵公路がここを通っているので、蔵北草原で最も繁華な所だ。町を通るアスファルト道路の両側にある、商店、旅館、劇場、食堂など、チベット式の建物は、最近新築したか改築したもののようだ。青海、四川、新疆からチベットへの交通の要衝に当たっているからだろう、商品も豊富で、町の人の服装もおしゃれだ。ここで商売をした
Author: 李奈 Year 1987 Issue 5 PDF HTML