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Your search : [ author:張哲] Total 19 Search Results,Processed in 0.076 second(s)
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1. 廬山と金剛山
中国の廬山は、江西省九江市南部に位置する有名な避暑地である。廬山を詠んだ詩歌は数え切れないほどある。代表的なものとしては、陶淵明の「菊を東籬(とうり)の下(もと)に採り、悠然として南山を見る」、李白の「廬山の真面目(しんめんもく)を識らざるは、只身(ただみ)の此の山中に在るに縁(よ)る」、また蘇軾の「飛流直下す三千尺、疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」などがあり、今も多くの人々に愛吟されてい
Author: 張哲 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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2. 中日のメディア交流
中日国交正常化三十周年を記念して、この五月、日本·東京のプレスセンターで、中国国務院新聞弁公室と日本新聞協会が共同主催した「中日メディア·シンポジウム」が開催された。中日双方の各メディアの責任者や報道関係の専門家、学者、記者ら百五十人がこのシンポジウムに出席した。「新世紀の中日関係におけるメディアの地位と役割」をテーマとしたこのシンポジウムでは、中国の趙啓正·国務院新聞弁公室主任が「インターネット
Author: 張哲 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
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3. 交河故城(新疆)の修復成る
四月の下旬、中国駐在のユネスコ代表部の武井士魂さんから招待され、新疆の交河故城遺跡保存修復プロジェクト竣工式に参加した。このプロジェクトにはユネスコの企画のもとで日本政府が百万ドルを援助、中国国家文物局も百万元を出資して、一九九二年末から完成までに三年余りが経った。天候急変の土地柄ウルムチに着いた四月二十一日は気温二十二度で、春の日がうららかな陽気だった。二十二日朝、バスでトルファンに行く。出発の
Author: 本誌·張哲 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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4. お答えします
日本では元旦に年賀状の束が届けられる風習がありますが、貴国の賀状の歴史や現状をご紹介下さい。静岡県天竜市 河合昭中国でも年賀状をだす習慣は、昔からあります。古代では、上流階級の士大夫(役人)たちがよく「名帖(名刺)」で祝賀し合いました。「名帖」は前漢の時に「謁」、後漢の時に「刺」と呼ばれました。当時は、まだ紙がなかったから、木や竹を削って「刺」を作り、その上に氏名を書いておりました。後に錦織りで「
Author: 本誌·張哲 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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5. 北京の専門学校と交流福島·尚志高校が修学旅行で
昨年十一月六日、修学旅行で北京に来た福島県郡山市の尚志高校生五百四十一名が、北京市財会学校を訪問、明日をになう若もの同士がひとときの交歓を楽しんだ。尚志高校は、「尚志必成、一瞬即永遠、即是道場」を校是として一九六四年に創立された。九七年夏、佐藤信校長の発案で初めて中国に修学旅行を行い、四百五十名の生徒が天安門、人民大会堂、故宮、盧溝橋、万里の長城などを見学した。二回目の昨年はさらに内容を充実させ、
Author: 本誌·張哲 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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6. 古代の名窯の一つ、耀州窯の「十里窯場」発掘さる。 “幻の陶磁器”や唐三彩もザクザク出土。
一九八四年九月、土を掘りおこしていた農民が、固くつきかためられた窯(かま)を発見した。場所は、陝西省·西安市の北、銅川市に近い黄堡鎮。文献によれば、このあたりは有名な耀州(ようしゅう)窯があったところである。農民の知らせで駆けつけた中国古代陶磁研究所の理事、禚(しゃく)振西さんと夫君の杜葆仁氏の調査で、窯跡はまぎれもなく耀州窯であることが判明したのだった。「十里窯場」と言われ、河谷と台地上にズラリ
Author: 写真 張哲鋒 Year 1987 Issue 4 PDF HTML
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10. 窓
訪日を待っています静岡県天竜市 河合昭昨年は静岡県日中友好協会の「中国三誌」普及会と、その発行関係四社との交流事業において、日本側が中国側を招待する年にあたっていました。ところがどのような事情かは詳らかでありませんが、来日されたのは中国画報社と北京週報社からの四人だけという寂しさでした。殊に我々が最もお待ちしている、人民中国社の方に来ていただけなかったのは、何とも気落ちするのを否定できませんでした
Author: 担当者·張哲 Year 2000 Issue 2 PDF HTML