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Your search : [ author:北京日本学研究センター 准教授 秦剛] Total 6 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
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1. 芥川龍之介が観た一九一二年·郷愁の北京
夕月や槐(エンジュ)にまじる合歓(ネム)の花灰捨つる路は槐の莢(さや)ばかり石垣に日照りいざよふ夕べかな来て見れば軒はふ薔薇に青嵐右の数首は一九二一年夏の北京の景観を詠んだ俳句だが、いずれも小説家芥川龍之介の手になるものである。中には、彼が北京から友人に送った手紙に書かれたものもあるし、後日発表したものや生前未発表のものもある。『羅生門』や『杜子春』などの人口に膾炙する名作を残した芥川龍之介は、実
Author: 北京日本学研究センター 准教授 秦剛 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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2. 表層の理解を超えて
一衣帯水とはいうものの今年も北京日本学研究センター入学試験の季節がやってきた。採点は、中日双方の教官が何人か集まって一緒に行う。その席上、日本人の先生方が作文の出来について話しているのが耳に入ってきた。今年出題されたテーマの中に、「日本研究を志す理由」というものがあった。これに対し多くの受験生が、判で押したように「初めて知り合った日本人の印象がとてもよかったので、日本をもっと知りたいと思った」と、
Author: 北京日本学研究センター 周維宏教授 Year 2000 Issue 7 PDF HTML
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3. 開かれる北京日本学研究センター
中国における日本研究や日本語教育の拠点「北京日本学研究センター」が、中日共同の文化交流事業として北京に開設されて十六年。来年の中日国交正常化三十周年には、日本の政府開発援助(ODA)により初めて、センターのビルが北京に建設される予定で、その発展には一層の期待がかかる。センターの歴史的な意義と今後の日標などについて、中日双方の代表の徐一平、並木頼寿両氏に話し合ってもらった。「大平学校」含め千人卒業並
Author: 徐一平·北京日本学研究センター主任 並木頼寿·北京日本学研究センター主任教授 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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4. 北京維尼給廠訪問記(上)
Yさん。とうとう北京維尼論廠(ビニロン)に行って来ました。三十年前の一九六三年六月、あなたが倉敷レイヨン(現在クラレ)社長大原総一郎さんの命を受けて北京に赴き、心血をそそいで輸出契約を成立させたビニロン·プラントです。中国へ日本が輸出したプラントの第一号です。一九五一年のサンフランシスコ講和会議の直後、日本はこの会議に招かれなかった中国と講和を結ぶことになりました。当時すでに中華人民共和国が成立し
Author: 京都橘女子大学教授 北京日本学研究センター専家 松尾尊兊 Year 1994 Issue 4 PDF HTML
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5. 北京維尼綸廠訪問記(下)
ビニロン·プラント輸出は、戦後の日中関係発展の一里塚としてよく知られています。Yさんからその内情についていろいろと教えていただいた私としては、今回の中国滞在中、ぜひそのプラントを参観したいものだと念願して来ました。いろいろ手蔓を求めましたが、埓があきません。参観実現にまで漕ぎつけてくれたのは、京大の博士課程を終えて、現在中国共産党の中央対外連絡部に勤務している張恒氏でした。敗戦直後、松江高校(旧制
Author: 京都橘女子大学教授·北京日本学研究センター専家 松尾尊兊 Year 1994 Issue 5 PDF HTML
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6. おこわに込めた愛の告白
中国南西部に位置する貴州省台江県は、緑の山に囲まれ、町の近くには清流が流れている。ここはミャオ族の居住地で、ミャオ族の伝統習俗や悠久の歴史文化が息づいている。中でも、姉妹節はもっともにぎやかな祝日である。「姉妹」とは、若い女性のことで、この日に恋人を探すことから、「古い歴史を持つ愛の告白の日」との名声を得ていて、含蓄があり、詩趣に満ちている。姉妹節の日程は地域ごと違い、旧暦二月十五日のところもあれ
Author: 写真·秦剛 楊華 文·張少華 張雲生 秦剛 Year 2002 Issue 10 PDF HTML